負け組ゆとりの語り場

社会に取り残された男が日々を語る

底辺名言「ストロングゼロは人生が辛ければ辛いほど美味しい魔法の水」

皆さん今日も元気にストロングゼロ飲んでますか。

もちろん自分もこの魔法の水を愛飲しているヘビーユーザーである。

もはや今時の底辺負け組にとってそれは必須アイテムといっても過言ではない。

現代人にとって高度数のアルコール飲料はもはや福祉になって来ており、「ストロングゼロ文学」と呼ばれるジャンルまで登場している。

 

そのストロングゼロ文学にこのような名言がある。

「ストロングゼロは人生が辛ければ辛いほど美味しい魔法の水」

これは非常に上手い表現だと言わざるを得ない。

逆に言えばストロングゼロがまずく感じるというのは、人生が充実している恵まれた勝ち組なのだ。

 

よくこういった底辺が飲む酒に関する話になると、必ずと言っていいほど「あんな酒は飲めたものじゃない」と自分は良いお酒を知っているアピールをしてマウントを取ろうとする人がいる。

 

しかし真の底辺になるとそんな美味しいお酒を飲んでいる余裕などどこにもないわけで、必然とこういったストロングゼロや氷結9%のようなものに手が伸びるようになる。

中にはよくわからないメーカーの格安の物もあり、下にはさらに下がある底辺の魔境が広がっている。

ストロングゼロ文学

人生が辛ければ辛いほど美味しく感じるというのはまさに今の社会の闇を表しているだろう。

底辺系のブログやツイッターなどを見ていると高確率でストロングゼロの話題が語られており、現代人にとって唯一の癒しがこういった高濃度アルコール飲料になっているのだ。

ジュースと同じような値段で簡単に深く酔えるようなお酒が変えるのならば皆この即自的な快楽を求めるようになってしまう。別の言い方をすればそれぐらいの幸せしか手に入らないような夢も希望もない世の中になったと言える。

 

格差社会が深刻化し、勝ち組と負け組の差が浮き彫りになる時代、唯一自分に寄り添ってくれるのはお酒だけなのだ。

勝ち組はわざわざこんな悪酔いするようなまずいお酒など飲む必要はないだろう。

しかし人生が辛くなればなるほど、この魔法の水に藁にもすがるような思いで頼らなければならなくなる。誰も手を差し伸べてくれない時、ストロングゼロは天使の微笑みでこの悪魔の水を飲ませてくる。

 

ストロングゼロの味は確かに悪魔じみている、本当は良くない物が入っているだろう。

しかしそんな悪魔の水も、人生が辛くて寂しい時には天使の水に見えてしまう。

 

つい最近こういったストロングゼロ文学について知ったが、まさかこれほどの一大ジャンルにまで成長しているとは驚いた。

「ストロングゼロは誰かと席を並べたり、向き合ったりして飲むような酒ではないという気がする。あれは孤独を枕に飲むものだ。」

「胃にジャーッって流し込んだとき将来への不安が少しだけ緩和されるような気がする。」

これらの表現はまさに文学のワンシーンに出てくるほど上手くまとまっていて読みごたえがある。

お酒を飲む人はいわゆる陽キャ的なうぃ~系が多そうなイメージがあるが、実際には1人で虚しく飲んでいる人方が今は増えているのではないだろうか。

ストロングゼロしか楽しみが無い若者だけでなく、中には孤独な老人も今はこういったチューハイを飲むようになっている。

若者は人生に希望が無く、高齢者は社会に居場所が無く終わりゆく人生が不安で仕方がない。そういう諸々の悲しみを一時的に癒してくれるのがこの魔法の飲み物だ。

 

他にも「友人との喧嘩や上司との確執を全て忘れさせてくれる」「最高のおつまみは孤独」という闇深い名言が多く、ブラック社会を象徴している現象と言える。

 

キャプテン翼がボールは友達ならば、底辺の孤独な負け組にとってはストロングゼロが友達である。

ストイックになり自分に厳しくし上を向いて人生を変えていこうとする人と、脱落した自分を容認する人の二種類に分かれる。

社会のレールから外れてしまい競争から取り残されてしまったとき、もう全てがどうでもよくなり安酒に溺れる。

ストロングゼロにしても氷結にしても飲み始めの時は本当に最高だが、大概の場合飲み過ぎて死にたくなるほど後悔することになる。

本当は飲まない方が良いだろうし、飲まずにいられる人は自分の恵まれた人生に感謝しなければならないだろう。

 

アルコールの高度数化は酎ハイに限らず、最近はビールにまで波及していて度数が8%になったというようなコマーシャルも流れている。

ストロングゼロは天海祐希がイメージキャラクターを担当しているが、さすがに彼女のような大女優はもっと高級なお酒を飲んでいるだろう。天海祐希が居酒屋で飲むイメージとは裏腹に、実際にはもっと孤独で貧乏な人が愛飲しているのが現実だ。

 

カクテルにしてアルコールを追求するならば、単にペットボトル入りの甲類焼酎を飲むとまずいのでストロングゼロと割るという方式も面白いかもしれない。

そうすればアルコール度数10%代を突破するストロングゼロが完成するだろう。

 

ストロングゼロ文学というのはある意味、不幸自慢や傷の舐め合いに近い部分もある。

別の言い方をすればそれぐらいしか楽しみが無い時代であり、頑張っても無駄な時代になっているのもこのブラック社会の現実だ。結局人生は才能ゲーであり、勝つ人は生まれながらに決まっている。持つ者はどんどん幸せになり、持たざる者は更に不幸になっていく。

その意味で勝ち組の星に生まれた強い人には縁がないお酒であり、負け組の星に生まれた弱い人間にとっては最低限の福祉なのかもしれない。

底辺への競争 格差放置社会ニッポンの末路 山田昌弘/著

韓国政府が本当に慰安婦合意を破棄しそうな件

闇の深い韓国政治において大統領を務める政治家があと何年その職を維持できるかはわからないが、現在の文在寅大統領は恒例の「反日」を政治利用し始めている。

 

もはや韓国の政治が反日一色な事は今更の事であり感覚が麻痺しているが、3.1節(独立運動を記念する韓国の休日)で文在寅大統領が「加害者が過去の事は終わったと言うべきではない」と発言したことは大きな波紋を呼んでいる。

 

まず前提として自分は日本による旧朝鮮の統治は、韓国の左派が言うほど極悪非道ではないが日本の右派が言う程理想的な統治だったとは言えないという立場をとっている。

歴史の捏造も美化もあってはならない、常に史実は一つでなければならない。

 

現在文在寅大統領の支持率は就任当初から徐々に下落し始めており、いずれその下降が深刻になる時がやって来る。そういう時に政治家が支持率回復のために必要とするのが「実績」であり、韓国の政治において常に反日という好材料は利用され続けてきた。

かつてIMF危機において瀕死の状態にあった金泳三元大統領が、朝鮮総督府庁舎を爆破し彼らの言うところの日帝残滓を清算したことはその象徴だ。

 

文在寅は紛れもなく韓国の左派を代表する存在であり、かつて反日、反米路線を取っていた盧武鉉元大統領とは師弟関係にある。

韓国において反日は道徳であるとまで表現されるが、仮に慰安婦合意を破棄することに成功すればそれは紛れもなく文在寅政権の大きな実績になるだろう。

 

韓国では日本統治時代の京城(現ソウル)を再現したロケミュージアムが作られており、ここでは安くドラマや映画を撮影できる上に視聴率も高いことから抗日作品が量産されている。

そういったドラマを見ると日本は非常に酷い統治をした悪役として描かれており、これはここ数年の間でも作られ続けている。

 

韓国人の歴史観に照らし合わせれば、日本という巨悪に立ち向かったというのがいわば英雄的なストーリーとなっている。

人間は誰しも悪に立ち向かうストーリーに酔いしれるものだが、日本は今現在もこうして都合の良い悪役として利用されている現状がある。

自分が韓国人の立場だったならと仮定するならば、自分もこういった抗日独立運動に思いを馳せていただろう。それほどに心情的な求心力や民族精神を惹きつけるものがあるのも事実だ。

そしてこれは韓国国内において今も根強い民族史観となっている。

公平を期すならば日本も第二次世界大戦ではアメリカやイギリスに立ち向かったという歴史観が支持を得ているので一方的にそういった感情を否定することはできない。

 

自分は韓国人が反日になることはある意味仕方がないことだと考えており、今回のように慰安婦合意を破棄する方向に向かうこと自体は理解できなくもない。逆の立場ならば自分だってこの問題に情緒的になっていた可能性があるだろう。

元々慰安婦合意は国民的な同意を得て成立したわけではなく、まだ議論が必要な問題であったのも事実だ。

 

しかし真の問題は「反日」に加えて「反米」に韓国政府が舵を切っているところにある。

反日と反米、それはつまり朝鮮民主主義人民共和国が何よりも重要に掲げている二大イデオロギーである。

反日という韓国国内における道徳を入り口にし、最終的には反米に繋げるという北朝鮮の手法は客観的に見れば非常に順調に進んでいるように見える。

 

仮に韓国政府が本当に慰安婦合意を破棄するならば日本国内で嫌韓ムードは高まるだろう。

日本人としてみればもうこういった歴史的な反省要求にはうんざりしており、「70年の間、十分に反省した」という思いが強い。これは旧朝鮮が日本に統治された36年間のほぼ倍に値する期間だ。

今更反省するべきだと言われたところで、もう何度も長い間反省しており、日本の国民感情はもはやかつてのように周辺国に従順ではないだろう。

これはあくまで大局的に日本人の心理感情を分析した物であり、完全に自分個人の意見ではない。保守政権が安定期に入り切った現在の政治情勢を考えれば、日本がかつてのようになることはないというのが冷静な視点だ。

 

これは韓国においてもはや右派政権が誕生しないであろう事と同様であり、韓国が革新の安定期に入ろうとしているならば、日本は完全に保守の安定期に入りきっている。

つまりこれは政治問題と歴史認識において日韓が完全に別の認識を持つということを意味する。

 

個人的には韓国のK-POPや大衆文化に好感を抱いているが、政治に関しては完全に亀裂が入ったと言わざるを得ない。

韓国の左派に共通している感覚として「北朝鮮は同じ民族であり、政府は独裁かもしれないが個人一人一人は現代の韓国人が失った純朴な感情を今も持っている」という同情意識のような物がある。

彼らからすればいくら民主主義国家、自由主義陣営として日本と共通するところがあっても民族としての情念が優先してしまうのだ。

 

それ自体は彼らの心理的な問題であり民族が異なる日本人には理解することができないのは必然だ。分断国家を経験していない日本人にとってその複雑な心情を心の底から理解することはできない。

日本人の中にも「韓国よりは北朝鮮の方が良い」と考える人は多く、反日と嫌韓は新たな現代型の新たなイデオロギーに発展しつつある。

 

しかし上述のようにここに「反米」という意識が絡んでくるのならば、それは完全に北朝鮮にとって思う壺ということになる。

 

韓国の国民が北朝鮮に対して同情的になり、日本に対して敵対的になることに関しては歴史を鑑みればある程度理解はできる。

しかしその憎き日本から解放し独立させてくれたアメリカに対してまでも敵対意識を持つことは果たして彼らのためになるのだろうか。

韓国が北朝鮮に近づくことと反比例するかのように、日本はよりアメリカを信頼し始めている。

 

そしてアメリカも韓国に不信感を抱き、ますます日本を東アジアの同盟国として重視するようになるだろう。

現在韓国政府が推し進め、最終的に政権維持の切り札にしようとしている従北反日の傾向は結果的に米韓関係を希薄にし、日米関係を濃厚にするようにしか思えない上に、日本にとっては良いチャンスであると彼らは気づいていない。

日本としてみれば韓国が北朝鮮に近づくために反日を利用すれば利用するほど、東アジアにおける米国のパートナーとして地位が韓国よりも高まっていくという好循環にある。

韓国が信頼する国家は自国の大統領を何度も暗殺しようとした国家なのか、それとも朝鮮戦争において窮地の国家を救い出してくれた国なのか。

反日はもはや慣れており構わない、しかし反米にまで及ぶのならば北朝鮮の思惑通りなのではないだろうか、そう危惧せずにはいられない。

ロシア軍さん、シリアを兵器の実験場にしてウッキウキの模様

現在シリアのアサド政権を支援する形でロシアが関与しており、停戦の目途は立っておらずさながら地獄のような様相を呈している。

一度始めた戦争はなかなか終わらせることが難しい、かつて日中戦争が泥沼の戦争と呼ばれたのもそのためだ。

更にロシアは強硬策に出ており、ソ連がかつてアフガニスタンへの介入を行ったときの再来のようにも映る。

 

そんなロシアはシリアのテロリスト掃討を名目に数々の新型兵器を実践に投入し、性能実験のような事を現在も繰り返している。

 

ロシア下院国防委員会のウラジーミル・シャマノフはこう発言する。

 

「兄弟であるシリアの人々を支援する中で、200種類以上の武器を試験した」
「今や世界各地から、同盟国だけでなく非同盟国までもがロシアの武器を買い付けに来るのは偶然ではない」
「我が国の軍産複合体は、我々が誇らしく思えるロシア軍を作った」

 

日本の政治家がこんなことを発言すれば一発で首が飛ぶような発言の数々だ。

要するにこうして戦場で実験し性能を高めているから優れた兵器がロシアの軍需企業には作れる、それが輸出産業になっていると言いたいのである。

 

確かにそうだ、ロシアの兵器は軍事的な視点から見ても優れておりロシアの主要産業は軍需産業だと言っても過言ではない。ロシアがもっとも世界的に進んだ分野は軍事と宇宙技術であり、ここに関してだけは誰も異論を投げかけない。

ロシアという国は軍事技術を継続することが重要だという哲学を帝政ロシアの時代から今日まで維持し続けている。

 

むしろロシアはこれくらい過激でなければロシアらしくない、他国を兵器の実験場にしたことを誇るぐらいでなければ「おそろしあ」とは言えない。

ソ連崩壊後、資本主義国として西側の先進国になろうとしていたような時期があったがソ連はやはりソ連だ。もはや事実上のソビエト連邦復活と言っても過言ではなく、軍事産業全振りぐらいの国でなければロシアはかっこよくない。

 

ダークで怪しく、そして不気味で怖いところがロシアの魅力でもあり善良なロシアははまるでらしくないのだ。これぞ悪役であるべきで、中国人民解放軍を上回るレベルで畜生でなければならないし、優しいロシアなど逆に違和感がある。

悪の親玉はやはりロシアと決まっているのだ、そんな恐露西亜のファンがまさに世界中から兵器を買い付けにやって来る同盟国や非同盟国なのだろう。 

www.afpbb.com

 

またシリアを「兄弟国」という大義名分で重視しているのは、かつてソ連時代にキューバやルーマニアなどを衛星国として重視している事とも類似している。

新型戦闘機Su57をシリアに配備する計画もあるらしく、本気でアサド政権を同盟国として引き入れようとしていることがうかがえる。

 

なぜロシアがこれほど小国であっても同盟国に拘るのかと言えば、それはロシア人が内心他国からの侵攻を恐れているからである。

ロシアの軍拡は何も西側諸国から見れば侵攻を企図しているような不気味な光景に映るが、実際のロシアは実は非常に臆病な国なのである。

 

何度も国土を蹂躙されている経験があり、彼らの価値観からすれば影響力を高めるというのは防波堤を作るような物だと言える。

ロシア人が衛星国を作るというのは日本人が津波に対して防波堤を作るのと同じ感覚であり、日本人にとって自然災害が、ロシア人にとっての外国からの侵略だと考えればわかりやすい。

逆に日本は歴史上、本土決戦を行い他国に占領されたということがほとんど無いためこの感覚がわからないがロシア人にとっては何度も苦い思いをしたリアルな体験なのである。

Su57

仮にロシアンジョークがあるとするならば「日本企業は何度も食品の安全テストを行い、ドイツ企業は何度も自動車の走行実験を行った。一方ロシア企業は実戦で兵器の性能を試した。」というジョークも成立する。

 

ロシア式の品質改善=戦場で人間相手に兵器の性能を試すことなのだ。

国自体が極道であり、伊達に元KGB諜報員の柔道家がトップに君臨している国ではない。

 

そんな甲斐もあり、ソビエト連邦やロシアは定期的に傑作とも言える兵器や武器を世に送り出すことがある。

第二次世界大戦の勝利はT34、そして自動小銃の歴史や戦争の形態をも変えたAK47はその代表格だ。AK47は悪役やテロリストの銃だというイメージがあるが、それまで権力者が独占していた武器を革命家が手にすることができるようになったという意味では、数々の政権を打倒し歴史を変えてきた銃でもある。

どちらの見方が正しいかは断定することができないが、歴史には様々な見方が存在する。

時々謎の天才が現れ、そして基本的に独裁者が統治する、それがロシアの様式美だ。

そしてアメリカと対立するまでがテンプレである。

シリアがかつてのアフガニスタンになろうとしている今、いよいよロシアが再びソ連らしくなってきている。

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1人で家でお酒を飲んでも思い出には残らない

自分はお酒を飲むときほぼ一人で飲んでおり、人と飲んだ思い出はいつの事だったかというほど遠い過去になる。

しかしいざあの時お酒を飲んで楽しかったなと振り返るとなると、人と飲んだ時や外出して家以外で飲んだ時のほうが圧倒的に多い。

 

家で1人で安酒を大量の飲むことは即自的には楽しいが、思い出に残らないどころかむしろ後悔の方が残る。

「すぐ使えるものは、すぐ使えなくなる」という言葉があるがまさにその典型が自宅での独り酒だ。

すぐ得られるようなものはすぐ失う、お酒を飲んで楽しくなったとしてもそれはあっという間だ。そしてそれを終わらせたくないがために結局飲み過ぎて後悔する。

とりあえず家にいる時気分が上がらないので飲もうという発想では何も楽しくはならない。

 

逆に人と飲まないまでも、遠くに外出してその先で飲んだようなお酒はよく覚えている。訪れたことが無い街に辿り着き、そこのどこかの居酒屋やバーなどで飲むお酒はいつか懐かしくなる時が来る。

これはお酒に限らず、例えば近場で食べるマクドナルドよりなぜか遠い場所で食べたマクドナルドのほうが思い出に残っているのと同じ理論だ。

 

苦労や手間というのは一見無駄なように見えて、実は思い入れを深くするためには欠かせないプロセスだと最近自分は気づいた。

 

例えばゲームでも「簡単に勝てる方法」と「難易度の高い方法」で勝ったとき、どちらが嬉しかったり後から思い返してそのプレーを覚えているかというと当然後者になる。

サクサク勝てるような方法よりも、なぜか苦労して決めたような物の方が喜びは大きい。

同じジャンルではあるがタイトルによって入手難易度が異なるようなアイテムがある。過去作と最新作で違う場合もここには含まれる。

そういった場合なぜか苦労して時間をかけて入手難易度が高い方で手に入れた物の方が思い入れが深くなる。

もう手に入れたのはずいぶん前なのに未だにあの思い入れがあり、むしろ苦労していた期間が懐かしくなる。

 

昨日家で1人で飲んだお酒の味は覚えていないが、バイトが終わった後に飲んだワンカップの日本酒の味は今でも覚えている。早朝に終わるような仕事で、コンビニのイートインスペースで電車が来るまでの待ち時間をお酒を飲みながら過ごしていた時のことが今では懐かしい。

逆に家というのは落ち着きはするが変わり映えのしない光景なので、その時楽しいだけで何も覚えてはいない。

 

楽な物は楽だけど楽なだけ、すぐ使えるようになる物はすぐ使えなくなる。

他にも例えばスポーツの試合テレビで簡単に見れるしネットでも今の時代はハイライトや過去映像などを手軽に見ることができる。

しかし実際のライブでの観戦をわざわざ時間をかけて見に行くと、普段は見逃すような何気ないプレーの凄さに気付くことがある。

ネットでいくらでも見れるスーパープレー集よりも、生で見るこういった一瞬の普通のプレーのほうがいつまでも感動する。

 

問題視されている漫画村で暇つぶしに読むような漫画よりも、一週間に一回買ってもらう単行本や、毎週楽しみに買う漫画雑誌で読む話の方が結局は思い出に残るのだろう。

ネットでいろんなものが簡単に見れる時代に、面倒なプロセスは徐々に軽視されつつある。自分は漫画村だけでなく、1クールだけで簡単に見れるような日常アニメにも批判的だがこういったものは味気が無く残らない。

まさに一人で家で飲むお酒のような物で、本当にその時だけの即自的な快楽でしかない。

 

自分はわざわざラーメンを並んでまで食べる人達のことを中々理解できないが、遠くまでいって並んで食べたラーメンの味は10年後も懐かしい思い出として残ってもインスタントラーメンは何色食べても明日には忘れているのだろう。

その一杯のラーメンのために様々な物語があり、その物語は食べ終わった後に時を経てむしろ懐かしく大切な思い出になっていく。

 

すぐ手に入る物は確かに早いが、良くも悪くもその時だけのものでしかない。

苦労や努力、手間を美化するべきではないと思っていたが、やはり何か一工夫すればその分返ってくることは多いことに気付く。もちろん必ず全ての苦労が報われるわけではないが、何もしなければ何もないというのはやはり事実だ。

近場の散歩は思い出にならないが、クタクタに疲れるまで遠くに行ったときのことは今でもよく覚えている。

面倒なことはしたくないというのが人間の心理だが、面倒なことをした方が良いこともあるし無駄に思えることに実は隠れた意味があることも多い。

 

変わり映えの無い日々を更に変わり映え無い物にしているのが家での1人酒だ。

変わり映えが無いからこそお酒に頼っているとも言えるし、お酒に頼るから変わらないとも言える。

すぐ飲めるお酒は結局のところすぐ酔い終わってしまい、その後には後悔しか残らないのだ。

外山恒一という伝説の過激派を知っているか?

かつてネット上で一世を風靡し話題になった活動家が存在する。

東京都知事選に泡沫候補として出馬し、当選する気が無いからこそ選挙そのものを否定するような演説を行いある意味炎上した外山恒一という男だ。

 

この外山恒一という伝説の泡沫候補への評価は、「ネットの動画サイトでネタにされた人」という物が大多数でその活動の実態については詳しく知られていない。

多くの人があの都知事選とそれに関する面白動画での姿しか知らず、今やその流行も廃れ誰もが忘れかけている"オワコン"となっている。

外山恒一MADは完全に過去の遺物であり、もはや最近は知らない人の方が多いかもしれない。

外山恒一

しかしそんな外山恒一は未だその活動を継続しており、むしろ「過激派テロリスト」だと名乗って現在も地下活動を続けている。

ネットニュースをこのように調べてみると大量に記事が存在し、未だその知名度自体は高いことがわかる。

 

具体的にどういう政治活動を続け、どういった思想を掲げているのかというのはこういった記事の方がよほど詳しいので割愛するが一言で言えば「この男、抜群に面白い」のだ。

外山恒一は最近のつまらない中身のないネット右翼も、ネット左翼も両方敵視しており、既成概念に捕らわれない規格外の活動家だ。

今の政治活動というのは停滞しており右派も左派もある程度の限界に気付き始めている。

「ネトウヨもパヨクもつまらない」と思っている人にとっては、この外山恒一の立場は斬新に映る。

最近のネットの右翼と左翼もつまらない論争のやり取りに飽き飽きしている人にとっては、外山恒一の活動は一つの希望にすらなるかもしれない。

世の中を変えたいならばとりあえず外山恒一の思想を知るべきだろう。

 

正直なところ自分は革命を起こしたいと常々語っているが、自分が革命指導者になるという力はまだないのが現実だ。

むしろ革命を起こしたいと考えている「革命分子」は、外山恒一の下に集うべきである。

自分は革命のリーダーになるようなタイプではなく、むしろ宣伝相ゲッベルスに憧れているような立場であり、外山恒一の活動をアシストすることこそが革命の手段であると考えるようになった。

 

政治活動を取り巻く状況が徐々に面白みを欠いていく時代に、外山恒一はユーモアを兼ね備えている。

政治活動をしている人達のほとんどが、あまりにもガチすぎる時代になっていて面白いとは言えなくなってきている。例えば昔の2chの韓国ネタはユーモアに富んでいたが、最近は嫌韓サイトで本物の憎悪に変わっておりそこには余裕がない。

 

外山恒一は都知事選であのようなエキセントリックなパフォーマンスをしたり、普段はお酒好きなおじさんで、議論の仕方や内容も面白い。とにかくこのつまらない世の中を変えたいと漠然と考えている人は一度外山恒一という活動家を見てみると面白いはずだ。

 

自分にはまだ世の中を変えるために革命を成し遂げる力は無いし指導者になり組織を作り上げることはできない。

しかし既に外山恒一には「我々団」という結社が存在する。

外山恒一と我々団

黒の騎士団ではないが、この我々団をより大きな組織に変えていく方が末端の小さな削行きをいくつも乱立させるよりは良いだろう。

とにかく外山恒一はこの既成の政治を破壊しようとしている、そして面白そうなユーモアのある活動家だ。

テロリストという肩書を自称するように、この男の思想はいささか危険である。しかしそれが地下革命組織の魅力でもあり、こういった反体制のムーブメントは現代では基調になって来ている。

 

situation.jp

また革命というのは必ずしも一つの思想に共鳴する人のみが集まるだけでは成し遂げられない。多少の政治思想の違いは折り合わせていかなければならない。

例えば外山恒一は反原発活動がメインであり、自分はそれほど反原発を推しているわけではない。むしろ現段階で原子力発電所は必要だと考えているが、やはり長期的には火力発電所も原子力発電所も廃止していかなければならないだろう。

何かを変えようとしている集団が、内部の少しの違いで対立すればそれこそ連合赤軍のような内ゲバの再来だ。

既成社会の破壊をもくろむ危険人物達はまず団結しなければならない。

それがより強固な組織となったとき、いよいよ変化は現実となる。

今から何かの組織を作って少数で集まったところでそれは大きな力にはならない、それならば既に存在する結社に集うべきだろう。

 

オウム真理教は麻原彰晃の下に高学歴の理系集団が集まり、ナチス・ドイツもまたアドルヒ・ヒトラーの下には数多くの天才が集まった。

優秀だが世界を変えたいと思っている人はどこかに燻っている。

そしてまたそれらの能力を必要としている革命組織も存在する。

そんな面白い人や怪しい組織を自分が一つ上げるならば、それは外山恒一と我々団である。

良いテロリストのための教科書/外山恒一

 

EU軍創設で、ドイツ軍国防軍復活の可能性キター

EUヨーロッパ連合が実質的にドイツ第四帝国だと揶揄されることは多く、ドイツの好景気や経済成長はこの連合システムによって成り立っている。

事実上ドイツがこのEUの鍵を握っており、舵取りはドイツに左右されている。

 

ある意味ヨーロッパをドイツが吸収し指導するというかつての夢は、皮肉にもドイツの暴走を抑えようとしたEUによって完成したことになる。

そしてそのドイツが次に見据える野望が「EU軍」の創設である。

彼らはヨーロッパ諸国を経済的にドイツに依存させる形で吸収し、現代版のアンシュルス(併合)を行い次は軍事力を吸収しようとしている。

ここに着々と「ドイツ第四帝国」建設のプロジェクトは進み、EU軍創設を最も要求しているのが何よりドイツなのだ。

 

ドイツ建前「周りが軍拡に向かう肉食獣ばかりな中、我々はベジタリアンだ」

ドイツ本音「ドイツ軍増強だと叩かれるからEU軍という名前にするぞ」

 

イギリスが2020年にEUを完全離脱する今、これが欧州を支配下に入れる最大のチャンスだろう。

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ドイツという国は非常に面の皮が厚い。

先の大戦は一見国民全体で反省しているかのように装っているが、「ナチスという政党が悪い」というのが彼らの本音であり徹底的にナチスを批判することでドイツ民族自体への批判は巧妙に回避している。

更に戦後は性懲りも無く、武器輸出大国となり世界中に兵器をばらまいている国だ。

御自慢の自動車産業も実際は「独ガス」と揶揄されるように数値を偽造していた。

更に軍拡を続ける中国とも癒着しており、最大の中国共産党支援国家である。

更にそろそろアドルフ・ヒトラーやナチズムを再評価する動きまで水面下で現れており、現に極右政党が総選挙で躍進している。

 

ヨーロッパ大陸を支配下に収めるという彼らの有史以来の野心は一度や二度、戦争で負けたからと言って消えるものではない。彼らゲルマン民族の血がそうさせるのだ。

 

EUにはフランスも属しているが、1940年から1945年まではドイツ領土だったため、ある意味元に戻ったともいうことができる。

ドイツに抵抗しているのはあくまでイギリスだけであり、フランスは自らドイツ領になることを選んだ。

ドイツ国防軍

そうなれば誰もが考えるだろう、あのドイツ国防軍の復活を。

やはり定期的にヨーロッパの歴史はドイツが何かをやらかさなければ面白くない。ワールドカップで優勝するだけでは飽き足らず、今度はリアルな戦いで彼らは優勝を狙っているだろう。

厨二病だと言われればそれまでだがやはりドイツはかっこいい、ミリタリーファンとしてはやはりドイツに頑張って貰わなければ困るのが本音だ。

仮にEU軍が創設され巨大な軍事力へと成長していくのならばそれは不謹慎かもしれないが楽しみだ。

むしろ軍拡を続けるロシアへの抑止力ともなるため、確かに平和のための軍事力だと言えないことも無い。

米中冷戦と、EUとロシアの冷戦というもが成立する時代に今後なっていくのかもしれない。

いつ戦争が始まるのかわからないという冷戦の緊張感は軍事技術を発展させ、それは科学技術をも進歩させる。実際冷戦によって誕生した技術は非常に多く、現代社会の根幹を形成している。

 

ドイツがEUという現代版コロニーによって経済成長を果たし国力を復活させるならば、軍事力もそこに続くのは必然だ。

ドイツ主導の新たなる軍事力が欧州に出現したときこれまでのパワーバランスに変化が訪れるだろう。

 

現在のサッカードイツ代表は世界最強のナショナルチームではあるが、移民も含めた多人種による混合チームでありかつてのようなチームではない。

まさしくそれと同じように今ドイツが作り出そうとしているEU軍も複数の国家からなる混成チームだと言える。むしろ実際のドイツ国防軍やナチスの親衛隊には多くのヨーロッパ人種が在籍しており多国籍の軍隊だった。

まるでその部分までドイツ軍の再来だと感じるのは自分だけだろうか。

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ホワイト企業味の素、労働時間を7時間にする英断

社会人にとって最も貴重なものは「時間」である。

しかしこの時間という概念は日本社会の労働文化において極めて軽視されてきたものであり、社会人たるもの会社や組織に滅私奉公し属するべきという価値観が長らく続いてきた。

 

働き方改革が議論される中、こういった労働時間の短縮という物にスポットライトを当てていかなければならないだろう。

もう日本人が馬車馬のように働いて高度経済成長を成し遂げようという時代ではなくなってきている、そういった前時代の文化や価値観は淘汰されていかなけれなならない。

個人の時間というのは保証されるべき権利であり、貴重な財産なのである。

 

しかしこういった現代的な改革を行う企業はまだ今回の味の素のように大企業に留まっている。日本中のありとあらゆる労働環境で、こういった改革が行われなければ日本は先進国とは言えないだろう。

先進国の企業では当たり前に保障されている権利も、日本ではなぜか一部のホワイト企業でしか採用されていない。先進国基準では当たり前のことをしているだけの企業が、日本ではホワイト企業だとされると言い換えても良い。

 

日本人が懸命に努力すれば世界一の国になれた時代は終わっており、これからは個人の生活の質が問われる。エコニミックアニマルやモーレツ会社員という言葉はもはや過去の遺物だ。

物質的に裕福になっていく時代でもないのだから、せめて時間にはゆとりがある時代になっていかなければならない。

 

味の素、1日7時間労働へ AI・ICTで業務標準化 (日刊工業新聞電子版) - Yahoo!ニュース

 

今の日本人が一番欲しい物は時間と言っても過言ではない。

誰もが忙しいと口にし、個人の自由時間はこの国では軽視されている。

社会人になると確かに金銭的に裕福になるが、今度は時間に追われてしまい結局は幸せになることができない。

学生時代はお金が無く、社会人になれば時間が無く、老後は健康が無い、これが日本人の平均的な人生だ。

 

時間的に融通の利く仕事は殆どアルバイトに限られており、正社員になるという事は多少の時間外労働を強いられるということを意味する。

プレミアムフライデーで実際に早く帰れた人などいないのが実態だ。

アルバイトだと金銭面で裕福ではなく、正社員だと時間面で裕福ではない、これが社会の現実である。

これでは若者が社会に明るい希望を持てず積極的になることはできないだろう。

更におまけでパワハラや部活動のような上下関係まで付いてくる場合もあるので、日本の労働文化は絶望的に劣悪だ。

 

時間という当たり前の権利が集団や組織という物に犠牲にされるというのはおかしい、その声を上げていかなければならない。

「時は金なり」という言葉があるが、時間という物はそれほどに大切なものだ。

与えられた時間を大切に使わないことは個人の自由だが、まずその時間さえ与えられないというのが現代人だ。

日本人の多くに1日の自由時間が数時間追加されるだけで、様々な可能性が生まれるだろう。

 

8時間労働と週休2日制があまりにも常識として定着しすぎており、正社員になることはこの制度を受け入れることを意味する。

こういったかつての常識というものは時代に合わせて変えていかなければならないはずだ。

 

もう日本は物質的に幸福になれる国ではない、しかし時間があれば幸せを追求することができる。

しかし現実には8時間労働が当たり前であり、残業や通勤なども含めれば実質拘束時間は10時間を軽々と超える。

平日にほとんど時間が無く、労働時間中は過度な集団行動を強いられる、それが社会人のライフスタイルだ。

1日10時間以上社会のために尽くすことが立派な大人の役割、この常識を非常識に変えていかなければならない。

 

根性で量をこなせばいいという考え方から効率を追求していく時代に現代は向かいつつある、一部のホワイト企業や大企業は従業員の労働時間を減らし給料を上げれば生産性が長期的には高まるという事を知っている。

その一方で現実には労働時間を増やし給料を下げるという逆のことがまかり通っている。

しかし味の素のような有名企業が労働時間を7時間にシフトしたということは、今後日本の労働環境に影響をもたらすきっかけになるかもしれない。