負け組ゆとりの語り場

社会に取り残された男が日々を語る

「日本人は外国語を学ばなくていい」←これ真実だよな

普段このブログでは外国語や海外の事についてよく話してますけど、逆説的なことを言えば日本人って外国語勉強しなくてもいいんですよ。

「だって必要ないじゃん」と言われればそれまでで、外国語を勉強してる自分ですらそれは納得がいく。

 

結局日本って普通に良い国で、外国語の習得って優先順位全然高くないんですよ。

むしろ日本で裕福になりたいとか出世したいと思えば外国語みたいな効率の悪い事やってないで他のことを学んだ方がいいことはいくらでもある。

本当に貧しい国は自分の人生を変えるために必死に外国語を勉強しないといけなくて、英語が社会の上位層になるためには必須だったりするしそもそもその国から脱出しないといけない程行き詰ってる国もある。

その国で出世したり高度なものを学ぶには英語が必須で、海外への移民すら現実的に人生を変えるために必要な手段であることが多い。

 

そういう国の人と比べると日本人が外国語に対するモチベーションがないのは当たり前で、日本人が日本で日本語だけを使って一生暮らす人生でも世界的に見て結構幸せなんですよ。むしろその日本のなかでよりよく生きていける方法を模索することの方が外国語みたいな時間のかかる勉強よりもよほど重要で、外国語にしろ英語にしろ全然必要ないと言えば必要ないのも事実。

「これからは英語必要、絶対英語勉強しないとヤバイ」みたいに言う人がいるけど、この数十年日本語しか使えなくても問題ないしその内翻訳アプリみたいなのも発展してわりとマジで外国語必要ない時代が来るかもしれない。

 

ではなんでその状況で自分が今拘って外国語を勉強しているのかというと、一番の理由は日本を出たいし海外で生活したいし、外国人の友達とかがが欲しいから。

どうしても好きな国があってその国で生活したいし、そもそも日本という国に限界を感じているから海外脱出をするために外国語を勉強しているというのが本音。

日本ってもちろん良い国で自分には愛国心がないどころかむしろ人一倍ある。

ただその日本で幸せを感じられる人ってそんな多くなくて、実際幸福度は非常に低いのが実態だ。

また社会問題も非常に山積していて少子化の問題、年金問題、日本の労働文化の問題など良い国でありつつも悪い部分も多いし構造的に限界が近づいているのも事実。

 

単純に言って自分は日本で幸せじゃないし、一回海外を体験してみたいという前向きな思いもある。

日本を脱出したいという後ろ向きな思いと、海外に憧れがあるという前向きな感情があってその2つが組み合わさって今自分は外国語を勉強している。

 

とにかく海外行けば良くも悪くも生活激変して人生も激変するじゃないですか。その刺激や変化が欲しいからわざわざ外国語を勉強している。もちろんいい方向に変わる保証はなくてやっぱり日本がよかったとなって帰ってくる可能性も高い。

だけどとにかく人生を変えたいから海外に行きたい。

人生を変えるだけならわざわざ海外じゃなくても日本国内で十分に変えられるけど、そこに海外自体への興味や関心も加わってきて2つの目的がある。

「人生ヤバいから日本を脱出したい」と言っても、多分その努力を日本国内の努力に使えば普通に人生変わるんですよ。でも同時にそもそも海外に行ってみたいからという前向きな理由もあるから2つの目的で海外に行くという話なんです。

 

そして「日本人は外国語を学ばなくてもいい」というの実は括弧書きの条件付きで「日本で暮らすなら必要ない」、または「今のところ日本では必要ない」という条件がある。

そこまで日本が急速にグローバル化する可能性は高くないけども、日本自体がオワコンになって普通に日本で暮らしていても貧しくなる時代がやってくる。2,30年後のことも考えて今自分は外国語を勉強している。この10年だけを考えるならやっぱりそこまで外国語が必要ない。

 

ただ日本の社会構造も超少子高齢化で限界が来ていて、どんどん若者が減ってきてる。

しかも日本の文化もどんどん劣化していて、労働文化も元々酷い。単純に楽しいことがどんどん減ってきてるし、自分自身が負け組という事もあって思い切って人生変えたい。

勝ち組で恵まれてるなら日本って楽しくて仕方がない国なのは間違いない。

ただ自分はもう日本で勝ち組になることに限界を感じてるし、もうこの国で努力したくないなという思いもある。自分程度の人間が少し努力したところで劇的な変化はないし、想像の範囲内でちょっとよくなるぐらいという現実がある。

そもそも一回日本社会のレールから外れてるから普通のレベルへの復帰すら難しい。

 

それに加えて日本自体の文化もある程度想像がつくため「大体想像がつくことのためにそこまで頑張る気はないなぁ」というのが本音である。

もうある程度自分の年齢分生活してきていろいろ日本に飽きた部分もあるし、自分の能力もそれほどないし夢もあまりない。

日本って勝ち組ならもちろん最高の国、ただ現実的にそこにはたどり着かないし、自分の努力で手に入る範囲内のものって限られてるんですよ。とにかく自分は無能で負け組なのである。

だけど唯一の特技や好きなことが語学だからそれを生かして人生変えようって言う話になっている。今まで自分は自分の人生を諦めていたけど、海外で生活するというビジョンができてから急にやる気が沸くようになった。

 

ただ自分が偶然語学が好きで、それなりに勉強してきたから唯一自分の強みになってるってだけで、語学得意じゃない人や海外に興味ない人が自分と同じように語学を勉強したら人生変わるかって言ったらそうじゃない。

語学得意じゃなくて好きでも無くて、なおかつ海外に興味がなければ他の手段で日本の中で人生を変えるのが当然ながら現実的な手段だと言える。

自分の人生「語学」ぐらいしかもう可能性が残ってなくて、なおかつそれが好きだからこれだけ勉強してるだけに過ぎない。

 

現実的に人生変えようと思ったらいくらでも他に手法があるしむしろ大変な語学をわざわざ選ぶ必要なんて本当になくて、まさに「日本人が英語や外国語学ぶ必要ない」ってのは真実なんですよ。

それは間違いなくて全員が必死に語学なんてやらなくていいし、勉強したい人だけ頑張って習得すればいいだけの話です。

 

ただそれは今の所という条件付きで、将来は本当に必要になってくるかもしれない。勉強して損は絶対ないし今は海外に興味なくてもその内興味が芽生えてくるかもしれない。やっぱり海外で仕事をするという選択肢があるだけでも人生の可能性は今までの数倍、数十倍広がる。それに日本だけで人生追えるのってつまらないじゃないですか、別世界を知るのって一回きりの人生なんだから自分はチャレンジしたほうがいいと思ってます。

 

自分の日本での人生に限界を感じている人ほど、まず可能性を増やすために英語や外国語を勉強することは有効な手段だと感じし、もっと前向きに「海外って面白そう」って考えてもいい。「日本で十分じゃん」「海外ってそんな良くないよ」ってネガティブな否定から入っても面白くないと思うし人生海外で生活する時期が合ってもいいんじゃないかなとは思う。

語学できなくても十分日本という国は可能性があることは間違いないが、語学ができると日本国内でも可能性が広がるしそもそも日本以外の可能性も出てくる。

そんな可能性として考えたとき語学は大きな武器になるのではないだろうか。

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英語は「聞いて覚える勉強法」が一番楽で効果的な理由

日本人の英語の勉強方法に多いのが書いて覚える事や読んで読解力を高める事で、実はこれってものすごく大変でなかなか続くものではない。

しかもこういった勉強方法は効果的ではなく実際これで実戦的な英語が身につくかと言えばそうではない現実がある。

 

ずっと単語帳を持ち歩いて覚えたり例文を暗記している人が、実際に英語をペラペラに話せているケースを見たことがあるだろうか?

その勉強方法が向いてて続いてて効果が出ている人はもちろんその勉強をつづけたほうがよくて、今回自分が話したいのは「本当に続く楽な勉強方法って何?」というテーマである。

 

大前提としてまず語学に対するモチベーションが必要、そして好きなジャンルのことを覚えたい外国語で勉強することが大事だという事はよく言われている。これに関しては以前語っている通りで、やりたくないことを無理にやってもしょうがないのでやりたい理由を作ろうという話である。

elkind.hatenablog.com

そして次に大事なのはなるべく楽な勉強方法を選んだ方がいいという事。

人間毎日大変なことを続けることはよほど意識の高い人でなければ不可能なのである。

その為に一番いい勉強法は「聞いて覚える事」で、実際日本語が上手い外国人などはたいていこの方法で習得したと語っている。

日本の英語教育は最も楽で効果的なことを軽視している、それゆえに日本人の英語力は国際的に低いと言われている。本来はもっと聞いて学習することを取り入れるべきなのである。

 

なぜ聞いて覚えることが楽なのかというとシンプルに言えば「何もしなくていいから」で、ただ横になってるだけだったり座りながら映像を見ているだけで良かったりするからだ。疲れる勉強っていい勉強方法ではなく、むしろ疲れる勉強をしてもあまり効果がない。

 

実は日本人が重視している書くことや読むことは結構面倒で、それだけで労力がかかったり覚えなければならないプレッシャーがあったりする。

それに加えて非常に音源は早いので多くの勉強をこなせるという事。

読むのは自分で意識的に速読をしなければならず結構これが疲れる。

一方音源がガンガン流れてくるような勉強は自然と自分がその速さに合わせていく上に、ページをめくったりスクロールしたりする動作もいらないので全神経を聞いたり見ることに集中できるというメリットがある。ほとんど体を動かさず頭で処理することに集中したほうが上達は早い。聞いてその音源をヒントに頭で考えることがネイティブに近い英語力を養う土台になる。

 

そもそも母国語の日本語もいきなり文章を読んだりひらがなカタカナを書いて覚えたわけではなくネイティブのリアルな環境でひたすら聞いて喋って覚えてきたのである。文章から入るというのが間違いで、まずは聞いて音感を身に着けることから全てがスタートする。これは英語に限らず他の第二外国語などでも使える勉強方法だと言われている。

「いきなりネイティブの早い動画を見てもわからないのではないか」

「字幕付きでみたほうがよいのではないか」

「まずはしっかり文法や単語を覚えてからの方が良いのではないか」

このような疑問がわいてくるが、自分はいきなりネイティブの早い動画を見たり音源を聞くことは間違っていないと思っているし実際慣れてくるのがこの手の動画や音源である。漠然と海外の映画や番組を字幕なしで見ることは難しいと思っている人が多くて、もう少し勉強してから取り掛かろうと考えている人は多い。

実は英語力のレベルに関わらず、今すぐそういったネイティブの動画を字幕なしで見ても全然OKなのである。初めからすべて理解出来たら天才で最初はほとんどわからなくても問題ない。

しかも音声には実際に使う文法や単語の多くが詰まっていて、丁寧に一つ一つ教材で文法や単語を学んでも実際使わない者が多い。使う英語を学びたければ直接ネイティブが話している動画や音声が一番なのである。

 

人間って語学に対する適応力が実は高い生き物である程度その才能は多くの人に備わっている。実際日本語を話している時点である程度語学の才能があるのだ。

海外で生活したら大体その国の言葉がわかるようになったという例が多いように、人間って耳から言葉を覚えるようにできているのである。

だったらほぼ海外生活のような環境を日本でも作るべきで海外の番組をひたすらみることってもしかしたら聞いてる量では留学している人よりも多く聞いている可能性がある。

動画見て何も体を動かさず頭だけで処理することに集中する、これが実は楽でなおかつ効果的な勉強法なのである。

 

この勉強方法でおすすめな動画や自分が試した方法には以下のようなものだ。

・スポーツを英語の副音声実況で見る

・海外ユーチューバーや海外の有名人をみる

・映画やアニメをみる

・洋楽を聞く

・討論番組やニュースをみる

・英語の旅行動画や食レポを見る

具体的に言えばこういったリアルなネイティブの教材を見つけることで勉強は楽しくなってくる。

くれぐれも聞く勉強方法がいいからといって教材向けに作られたTOEICのリスニング試験にでてくるような音源は選ぶべきではないと自分は思うし、実戦的な英語でないことが多い。綺麗な環境で丁寧に発音が上手いアナウンサーの声を録音した音源を聞いても、リアルな英語には対応できない。

 

例えばスポーツ実況は日本で放送されてる物でも副音声に切り替えれば英語の国際音声になっていることが多く、サッカーだったらイングランドプレミアリーグはもちろんの事、イタリア、スペイン、ドイツ、フランスの試合も英語であることが多い。

しかも音声がスポーツの試合に合わせるためものすごく速くて、本当のネイティブの会話に対応したいと思えばスポーツ実況は非常におすすめである。台本がないからその場で思いついたことをしゃべっていることが多くてリアルな表現を使っているのも魅力だ。丁寧に台本にされた文法や綺麗な英語ばかりが使われているわけではない。

この速さやナチュラルさ、リアルさはネイティブ英語の勉強方法として非常に役に立つし、スポーツ実況聴いた後TOEICや英検のリスニングがやたら綺麗に簡単に聞こえるようになる。

 

更に言えばスポーツ実況の場合内容を完全に把握する必要がなく肝心の映像は解説が無くてもある程度そのスポーツが好きな人ならば理解ができる。しかもその映像から実況の内容を想像するためより理解が早くなるし、そもそも90分間も音源をずっと聞いているのは大変なのである。

だったらスポーツを見て楽しみながらついでに英語も聞いていたという状況を作ったほうがいいし「理解できない英語をずっと聞き続ける」というつまらなさを軽減することにもなるし、自然と耳が慣れていくという状況を作ることができる。

 

他には海外ユーチューバーは魅力で、日本のくだらないユーチューバーよりも間違いなく海外のほうがクオリティが高い上に勉強にもなるというメリットがある。そもそも日本のユーチューバーは海外で流行ってる動画を真似していることが多い。

それはともかく海外の食レポや旅行動画などは珍しい場所に行っていたり珍しい美味しそうなものを食べていたりしてその自然なリアクションは非常に参考になる。

日本の海外旅行ブログよりもよほどマニアックな場所に行っていたりリアルな映像があるため純粋に旅行動画としても魅力である。

こういったユーチューバー的な動画をダラダラ肩の力を抜いてみていれば自然と外国語は身についていく。とくに英語は豊富で、旅行系は本当に多いしもちろんユーチューバー的な面白動画も多い。海外のお気に入りユーチューバーを見つけることは日本のくだらないユーチューバーを見る事よりも面白いし、日本のユーチューバー嫌いって人も海外の動画なら楽しく見れたりすることがある。金目的でやってるようなくだらないユーチューバーがあまりにも日本は多すぎるし、日本特有のそういうネットの素人文化が嫌いな人にはぜひ海外の動画がおすすめだ。

 

討論番組やスピーチはある程度英語力がある人には非常にお勧めで、youtubeではいくらでも見つけることができる。たとえばTEDは有名だしビルゲイツザッカーバーグスティーブ・ジョブズの講演なども内容が充実していて「その中身を知りたい」というモチベーションも英語力向上には凄く必要だと言える。

一回でわからなくても何回も聞けばいいし、1時間ぐらいの動画をループ再生で聞きつづければ英語力はかなり向上する。これが聞いて覚える勉強の王道だ。

今で言えばトランプの演説などはアメリカや世界の政治情勢を学ぶことにもなり、政治や歴史に興味がある人はドナルド・トランプの映像も立派な教材になる。トランプの場合シンプルな英語を使っていることが多いのでリスニング入門としてもわかりやすい。

 

しかもこの手の動画は必ずも動画を見ずとも音声だけ聞いていればよいので、横になりながら楽な姿勢で勉強することもできる。文章でいえば何十ページもの分量を学ぶことができるので非常に効率がいい。

更にyoutubeは早送り再生機能があるのでネイティブ音源を1.25倍速~1.5倍速と聞くと更にリスニング力は向上する。

 

また映画やアニメを見るという事もいい勉強方法で海外の映画やドラマはもちろんの事「英語に吹き替えられた日本のアニメや映画」なども、原作を知っていると内容が想像しやすいのでおすすめだと言える。

好きなアニメの海外版を見ることは楽しいしいってることの内容が想像しやすいというメリットが大きい。 逆パターンで日本の映像作品に英語字幕を付けたようなものも凄く良い教材にすることができる。

他には海外のドキュメント番組は非常にクオリティが高く実際日本で放送されているドキュメント番組も海外のものを翻訳していることが多い。軍事や歴史は非常に豊富で好きな時代や好きな国のドキュメントなども役に立つ。たとえば自分は「戦闘機開発」を題材にしたドキュメント番組を見つけてみたこともある。ミリタリー系は日本に比べて圧倒的に充実しているため趣味にあった番組を見つけることができれば楽しく勉強をすることができる。

 

全てに共通していることが映像を見る事や音声を聞くだけで済むという事である。

何も動かずに済むし、何かを食べたり飲んだりしながら見ることもできる。

英語や外国語は苦労して覚えたり勉強したりする必要はない。

机の上に座って真面目に勉強するというのは毎日続かないし、長時間続けることもできない。よほど勉強が好きな人でなければ毎日の習慣にすることはできないのではないだろうか。

毎日1時間問題集を解くだけでも勉強が嫌いな人には難しいし続かないものだ。

しかし好きな映像を見るという事は普段日本語でやっていることと変わらないのである。普段の生活習慣の一部を英語に変える、これが最も楽で続く方法であるように思う。

結局人間楽しい事しか続かない、そして楽しいから上達する。

日本語だって好きなテレビ番組を子供の頃に見て覚えたのだ。

日常の中で楽しいからやっていることを英語に置き換える、まずはこの習慣を作ることが英語や外国語習得の近道なのではないだろうか。

英語の勉強にはモチベーションが必要

少し前まで自分の中でものすごく英語熱が高い時期があって、英語ブームみたいなものが来ていた。

その時なんで英語をそこまで勉強していたのかというと決定的なモチベーションがあったからで今回は言葉の学習には動機がいくつか必要だという話をしてみたい。

 

そもそも言葉に限らず何事においてもモチベーションは必要でやりたくないことはやらなければいいし、やらないといけないことがある時にはそれをやりたくなる理由をつけるというのが自分の考えである。

更に言えば「やりたいと思ってやる気がある時が一番伸びる」という理論の信奉者でもあって、努力は多ければ多いほど伸びると漠然と考えているタイプではない。

日本人って努力=量と漠然と考えてる人が多くて質をあまり重視しない傾向にある。

それが日本の労働の効率の悪さにもなっているということはよく言われていて、日本人は努力のが一生懸命さで補ってきた部分がある。

 

ただ今の日本人って昔ほど一生懸命にできる人が少なくなっていて、じゃあこれからどうしようかって考えたときに「好きなことをやって伸ばす」という方向にシフトしていくんじゃないかなと自分は見ている。

 

そういう前提で言えば日本人の英語の勉強で一番問題なのがやりたくない英語を一生懸命やっている人が多いという事。とにかくつまらない勉強方法を一生懸命やっていて言葉の学習は真面目にやる物だと考えている傾向にある。

言葉って本来遊びながら身に着けるものなのに、苦行に様に考えて結局身につかない。日本社会全体が教育の頃から英語の学習をつまらない物にしていて、英語を学習する動機もつまらないことが多い。

 

例えばまず英語を勉強する動機として「英語でやりたいこと」を想定するとモチベーションが一気に変わってくる。 

英語圏の国と言えばアメリカ、イギリスのイメージが強いけども自分の場合「カナダ」という国を目標に定めて勉強している時期があった。自分はそこまでアメリカやイギリスに興味が無くて「好きな国の言葉」として英語が勉強できていなかったし、インドやシンガポールのような英語話者が多い国にも興味が持てなかった。とにかく英語がメジャーな地域に自分の好みの国がまるでなかった。

 

しかし「そういえばカナダあるじゃん」ってことに気付いて、一気に英語のやる気が沸いてきたことがある。

自分の場合雪国とか広大な冬景色が好きで、北欧とかロシアに本当は行きたかった。ただカナダってそこの環境が似ていて「英語が通じる巨大な雪国」ともいえる。

「ロシアはロシア語があまりにも難しすぎるけどカナダなら英語得意だからいけそうじゃん」と思って、ロシアの代わりにカナダに行こうと考えるようになった。

カナダ行って釣りや狩りをするという夢を思い描いたし、人種差別や文化の面でもロシアよりは確実に住みやすい。実際カナダの都市は「世界で最も魅力のある都市ランキング」のようなランキングでも上位で、英語という世界的に見て最も普及している言語が通じるというメリットもある。

 

それでカナダ生活のブログを調べたり、英語でもカナダの自然を検索したりした。旅行番組などもみて、「カナダの旅行を英語で解説した動画」みたいなのを見てカナダに憧れながらどうじに英語も自然と勉強しているという状態を作って勉強をしていた。

カナダのサーモン釣りを解説した動画とか、海外のサイトなどを見て楽しみながら英語を勉強していた。

 

これはあくまで自分の例だけれども、アメリカが好きな人はどんどんアメリカの動画を見ればいいしイギリスが好きな人はイギリスのアーティストのインタビューを見たりして学ぶこともできる。

 

サッカーが好きならプレミアリーグの映像を副音声に切り替えれば本場のイギリス英語を聞きながら勉強することもできるし、バスケが好きならばNBAの試合などを副音声のアメリカ英語を聞きながら学ぶこともできる。

スポーツを見ながら英語を学んだり、旅行番組を見ながら英語を学んだりすることは非常に有効だと言える。

好きなことのために好きなことをしながら英語を学ぶというのが今後の語学学習のトレンドで、つまらない勉強法を我慢しながら勉強することは今すぐ辞めたほうがいいのではないかと自分は思っている。

使いもしないような英語が書かれているつまらない参考書にグッバイ、そして英語で面白い動画を見る、これが今後の英語勉強方法のトレンドではないだろうか。

 

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日本にいることに幸せを感じないのなら、海外に出たほうがいい

日本人は海外での生活や海外脱出を考えている人がそれほど多くない傾向にあるのではないだろうか。

それが日本に満足している人が多いことが理由なのか、そもそも海外に行くという発想を持つことができていないことが理由なのかと考えたとき、に自分は両方の理由があるのではないかと見ている。

 

まず大前提として日本は普通に良い国で、むしろ最近日本人が日本を好きになってきており日本を再評価する風潮がある。

それは事実で社会の下層や底辺の人間でそれなりに最低限の幸せが保障されてて、少し頑張ればそれなりに満足の行く暮らしができないわけではないし出世のルートや人生の逆転の方法は実はいくらでも存在する。

なんだかんだで可能性があるし、大きな希望もないけど現実的な幸せはそれなりにあるのが日本社会である。

娯楽も非常に多く、清潔で安全で治安も良く、移民も少なく日本語だけで生活できて料理のクオリティや多様性も素晴らしい。国内だけで困ることは無いし、日本社会で上位層になれればそれはまさに天国である。

そして貧困層も本当の開発途上国に比べればマシで、よく言われる「日本人は水と安全がタダだと思っている」という言葉に集約されるように自覚していない幸せは日本に多い。

 

その一方で日本も万人にとって天国ではなく、条件付きの幸せというのは多い。もちろんどの国でも万人に幸せは保証されていないのだが日本も全員が幸せになれる国ではない。

むしろ日本で幸せではない人間ほど周りと比較してしまい、実態以上に不幸せに感じてしまうという側面もある。

また日本の労働文化や教育文化、年金問題社会保障の問題、年功序列問題、景気の問題、少子化問題なども今は行き詰っていて将来的な安定は存在しない。

 

確かに日本で上位層の人間で社会的地位に恵まれて、いろんな人に認められて評価されて承認されているならばこの国ほど良い国もないだろう。お金があって、素晴らしい交友関係があって、社会的地位もそれなりに合って、人から見下されるような立場でなければ楽しくて仕方がない国だ。

ただ全員がそういったものに恵まれているわけではなく、持つ者と持たざる者の格差というのは年々大きくなっている。

誰からも認められず薄給で孤独で何も既得権益を持たず、将来に希望を見いだせない人も多い。

 

自分はそういう人はいっそのこと海外に出ることを本当に計画するべきだと思っていて、文句だけ言って「外国に生まれていればよかった」と言いながら日本を腐し続ける人生に何の意味も感じない。

海外に脱出するほどの行動力もなくそれすら考えず、自国の悪口を言い続けるだけの人が実際ネットには多くネットを見れば日本人に対する差別用語を書いてる哀れな人たちがいる。

そういう人はその後ろ向きのエネルギーを外国語の習得などに使うべきであって、数年後海外への脱出を図るために真剣に計画を立てるべきなのである。

5か年計画で言語やスキルを習得して、留学資金をためて海外でどう生活していくかビジョンを立てるだけでも人生は前向きなものになってくる。

若いならばなおさら海外に出るべきだし、いい年して日本への悪口ばかり言ってる人はなぜ若いころに真剣に海外に行くことを考えなかったのかと言われてもおかしくない。そこまで日本が嫌ならばなぜこれだけ長い時間日本にいつづけたのか、そして日本が嫌ならばちゃんと脱出することを真剣に考えるべきなのである。

 

例えば海外留学というのも5年単位で目指せば不可能なことではない。

実際自分もまさにそういった海外留学の計画をしていて、海外で人生をやり直そうと今計画を立てている。

学費の安い国はいくらでもあるし、努力次第では大人になってからでも外国語は習得できる、そして現地で働きながら生活するという事もできるため留学は不可能なことではない。決して雲の上の存在ではなく、5か年計画を立てれば無謀ではない。

もちろん今すぐ留学したり海外生活を万人ができるわけではないが、5年しっかり準備すれば絶望的に不可能とは言い切れないのである。

日本が嫌でもこの5年間本当に海外生活をするために頑張って、5年後は海外だと言い聞かせて頑張れば乗りきれないことは無いし「日本から逃げよう」ということがモチベーションになったりもする。

 

そもそも多くの移民が海外に行く理由は「母国が辛い」「裕福な海外に行く」「個の国から逃げる」というものが多く、逆に日本人も移民になればいい。今より良い環境を求めに行く、人生を変えるために可能性を求めて行くというのが昔から生まれた場所を旅立つ人の目的である。

海外も幻想ばかりではないが、自国にもう幻想を感じられないし夢も希望も感じない人は旅立つべきだ。

日本でこれから5年間頑張り続けてもそこまで劇的に人生変わらないだろうなと諦めている人ほど、思い切って5年後海外に拠点を移すことを計画するべきなのではないだろうか。

必ず良い方向に変わるという保証はないが、とにかく良くも悪くも劇的に生活は変わる。

 

停滞感や限界を感じて自国に飽きていたり希望を見いだせないひとがてっとり早く人生を変えるならば海外に住むのが一番なのである。別に日本という国は海外への渡航を制限している国ではないし、ネットでよく見かける日本にいながら日本の悪口を言い続ける人生ほど非生産的で希望もない悲しい生き方は無い。

 

日本が嫌で幸せでないならば日本を出ればいいというのは至極全うなことで、「日本を批判すればすぐ出ていけと批判される、これだから日本人は~」って言ってる人多分馬鹿だ。

そういう人は海外に行くことは現実的なことではないと自分の可能性を狭めているのではないだろうか、なぜ真剣に海外への脱出を考えないのだろうか。海外に行けばだいぶ精神的に楽になるのである。

日本を出るということは間違いなく日本で幸せを感じられない人にとって人生を変える手段になるし、文句を言い続けながら日本で停滞した人生を送るよりは思い切って環境を変えることも手段の一つと言える。

 

もちろん海外に行けば必ず成功して幸せになれるというわけではない。

ただずっと日本にいても希望が感じられない、だからリスクをとってでも海外にチャレンジするという発想だ。

そのリスクにもチャレンジせずただひたすら日本に居続けて自国に文句を言い続ける事はただただ虚しい。

 

日本人は自分の人生はずっと日本で過ごすものだと無意識に思っていることが多い。

それは可能性を狭めているともいえるし視野が狭い考え方だ。

母国で生きていて幸せではない、だから海外に行く、そんな当たり前の生き方が増えてもいいのではないだろうか。

中国人が日本語に堪能な事には理由がある

なぜ中国人に日本語が上手い人が多いのかわかりますか?

自分自身日本語が上手い中国人を良く知っていてテレビ番組やインターネットなどでも日本語が上手い中国人を見る機会は多い。

もちろん日本に興味があったり日本にやってくる中国人が日本語が上手い傾向にあることは当たり前のことで、中国人全体を見たとき当然日本語がほとんどわからない中国人の方が多いことは事実と言える。

 

ただ同じ日本人の中国語学習者と比べたとき、中国人の日本語学習者のほうが比較的レベルが高い傾向にあってそもそも日本人自体外国語の習得があまり上手くないという実態がある。

この差はどこから来るのか?

その差を考えたとき最大の違いは勉強へのモチベーションの違いにある。

中国人は「幸せになるためや生活のため」に日本語を学んでいて、日本人は「日本語だけで何とかなるし中国語は漢字を使っているから簡単そう」という理由で中国語を学ぶ傾向にあるという差が存在する。

 

外国語というのは道具や生活の手段として本当に必要としているときが最も身に付くものであり、中国人は言葉は悪いがお金のために必死に日本語を勉強しているから日本語が上手い。

逆に日本人は楽するために中国語を勉強していて「漢字割引券」があるから中国語を勉強している人が多い。そもそも勉強して数年後使えなくなったところで困らないのである。日本人にとって外国語は学生時代成績や単位、受験のために必要なものでしかないのだ。

 

そもそも日本人って実際のところ外国語を勉強する必要がないと言えばないんですよ。

正直日本人が日本語しか使えなくてずっと日本で暮らしてても十分幸せで、日本国内に裕福な暮らしを獲得する手段なんていくらでもあるという国際的には恵まれた環境に我々は住んでいる。

自分だって日本社会では負け組だと思っていても世界にはもっと恵まれてない人はいて、本気を出して日本社会で本当に頑張っていこうと思えば数年後は状況が変わっている確率が高い。しかも日本語以外の外国語をわざわざ覚える必要がない。

正直まっさらなところから外国語を覚えたり、競争の厳しい英語を極めるよりも完全に言葉とは違うジャンルの資格でも見つけて真剣に勉強したほうが将来の幅は広がってくる。日本において外国語を使えることのメリットはそこまでなくて、日本だけでも十分人生変える方法っていくらでもあるというでは恵まれてる国だと言える。

 

逆に中国人は日本人が思ってる以上に「先進国」への憧れがあって中国を出たいと思ってる人が凄く多い。「外国に出て幸せになる」ということへのモチベーションが全然違っていて、言葉を覚えることが現実的に幸せになるための手段だとみなされてる傾向にある。日本で実際「日本は貧しいから外国に出てお金持ちになってやる」と言ってる人が実際身の回りにいるだろうか、ほとんどいないのではないだろうか。

海外脱出が必要なほど日本の状況は悪化していないし日本にいることに危機感が沸かないという現状がある。海外に出稼ぎに行かないといけない程落ちぶれているわけではないし、今の所わざわざ脱出するほどの国ではないし日本より明確に進んでる国ってまだそこまで多くない現実がある。

 

「海外に出て幸せになる」という最大のモチベーションを日本人は抱きにくいためそれほど外国語を熱心に勉強しようと思わないし、実際に必要ないと言えば必要ないのも確か。

また中国人の富裕層の親には幼少期を貧しい環境で過ごした人が多く、大きな期待をかけて日本への留学を子供にさせるという人も多いらしくそういった親からのプレッシャーもまた日本語上達の理由になっていたりする。

実際自分が高校の時も中国人留学生がいたし、母国では相当のエリートだったようである。また期待をかけられて日本に留学したものの日本になじめずほとんど日本人と話していない孤立した中国人学生なども一定数いるようだ。

 

加えて中国人は元々外国語を実戦的な商売道具の一つとして考える文化が非常に強く、日本の翻訳の道具や教養の一環として外国語を勉強する文化とは異なる部分がある。たとえばよくアニメの中国人キャラクターが「アル」という語尾を使うことが多いが、これは協和語といって単純化された覚えやすい日本語の一つである。

日本語に限らず中国の商人はビジネスとして様々な国の言葉を最低限伝わるレベルで簡略化して覚えることが文化として根付いており、言葉は実際の現場で使う物とという発想をしている。

この部分は丁寧に翻訳して正確に先進文明を輸入するために翻訳文化を築いた日本と違う部分である。たとえば古くは遣隋使、遣唐使の時代から大陸の文明を受け入れ、杉田玄白の解体新書のようにオランダ語書物を翻訳していたこともあったし、明治維新のときは徹底してエリートが西洋文明の書籍を日本語に翻訳して普及させこれが日本近代化の礎を築いた。

外国語を話したり、外国に行って商売をするということが中国人の発想であり、あくまで進んだ国の文明を自国に取り入れて自国で活用するために翻訳するというのが日本人の発想である。

 

どちらがいいというわけでもなくその背景には文化的な要因が存在するという事である。

たとえば現代において中国が圧倒的な超大国で、文明の面で圧倒的に進んでいれば日本人はかつてのように中国語をものすごく熱心に勉強し中国の文明や中国語を取り入れていただろう。現にこの文章の中でも使っている「漢字」はその遺産である。

中国から文化や技術などの文明を取り入れる必要がなくなったため日本人の中国語学習熱は下がり、また海外に行って商業を行うために外国語を勉強するという文化もないためこれだけ中国が発展した現代でもなかなか中国語学習熱は上がっていかない事情がある。

まさに両国の国民性や言語に対する考え方の違いが表れているのが日本人と中国人の語学力の差だろう。

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外国語の習得は一朝一夕に可能なものではない

外国語の習得というのはひたすら地道な作業によって積み重ねられるものであり速効性を求めてはいけない。継続は力なりという言葉がまさにあてはまる物であり、例えば植物の成長や人間の身長などもすぐに伸びるものではない。

薄皮を一枚一枚はいでいく作業と例えている人もいたがすぐに伸びたと実感できるものではないのである。ゲームのように点数がたまっていく物でもないし、実力がたまったところで使わなければ失われていくのが外国語であり、そもそも日常のいろんな能力についても同じことが言える。

基本的に一部の天才を除いて人間というのは簡単に成長しない生き物なのである。

ある意味成長していないという停滞感と戦い続けることが最も重要であり、むしろ成長してないと思っているときほど成長しているのが言葉の能力だ。

 

そもそも母国語の日本語の習得だって赤ん坊のころから日本語付の環境でやっと数年かけて覚えたのである。1歳の頃日本語がペラペラ話せただろうか。3歳ぐらいの頃にようやく話せてそれも始まりでしかなく読み書きや基本的な会話をしっかりできるようになるのは小学校に入ってからである。

「赤ちゃんの頃に覚えたから習得できたけど、今はその能力は無い」という人がいるがまず赤ちゃんの頃もそれほど簡単に習得できたわけではないし親や親戚、友達、そしてテレビや絵本など超日本語漬けの環境が自然と形成されておりそこで育ったのである。

大人になってから赤ちゃんのようには覚えられないという人がいるが、まず外国語に対して赤ちゃんの頃のような環境を作れていないし絶対的に学習量が足りないのである。

 

まるで子供のころは特殊な能力があったかのようにいうが実際問題子供の頃の母国語はとにかく大量に言葉に触れていたから身に付いた物であり、特殊な能力があったわけではない。多少脳のやわらかさや吸収能力の速さがあったことは事実だがまずは大前提として自然に得られた圧倒的な学習量が土台になっているのだ。

 

大人になってからなかなか外国語が習得できないという局面に出くわすが実際の所才能の問題ではなくその言葉に触れる量や時間が圧倒的に足りていないだけなのだ。

子供の頃には特殊なやりかたで身に付いた、子供の頃には魔法の能力があったかのように語る人がいるがまずあの頃にも大前提として圧倒的な学習量があった。

友達と会話すること、テレビを見る事、親や兄弟と会話すること、そのすべてが超エリート教育だったのである。その毎日の小さな積み重ねによって母国語の能力は身についている。

母国語も決して簡単に見についたわけではなく量、時間、失敗、実践により支えられている。自覚は無いが子供のころは物凄く多くの練習をして失敗して苦労して覚えたのである。

 

それと同じで大人になってから外国語を習得しようと思えば当然ながら時間も必要だし、何度も失敗して大量に練習しなければならない。一朝一夕に身につくものではなく地道に積み重ねるのが語学力である。

明確な指標は無く進歩はわかりにくい。検定で点数が上がったからと言って実力が明確に上がったかと言えばそう単純ではないのも語学だ。

TOEICで高得点を取ったり、辞書を丸ごと覚えたり、難しい論文を読めるようになったりしている人がいざネイティブのラジオやテレビ番組を見たときさっぱりわからないというケースに出くわすこともある。

言葉の勉強とは何か一種類をやればいい物でもなく、様々な物の連関によって構成されている。

何か一つのことを極めれば習得できるほど単純ではなく、そしてすぐに進歩する物でもない。

 

しかし途方もないと諦めていては一生習得できない。

明日、明後日、数か月後すぐに習得できるわけではないがいずれにせよ確かなことが一つある。それはどんな言語も始める日は今日が一番早い日だという事である。

学ぼうと思ってる言葉があるならば「いつか暇ができたら」と思うのではなく、今日から学ぶべきだろう。今までの中で今日は最も古い日だが、これからの中では今日が最も新しい日である。

それにどれだけ時間がかかる物であっても、近いうちにすぐ結果を出す必要はないのだ。時間がかかる物なのだから時間がかかってもいい。赤ちゃんだって1歳で言葉が流暢に話せたらそれはむしろ怖い。

今まで勉強したことがない外国語なら1年勉強しても、1歳の赤ちゃんぐらいしか話せなくても何の問題もないのである。外国語の学習は数年単位のものであり、新しい外国語に対する今の自分の年齢は0歳である。

子供の頃のように時間をかけてじっくり成長していけばいいのだ。1年で話せる天才にならなくてもいい、それが外国語のである。

人生は本当に頑張らないといけないのか?

頑張らなくても何かを得られる人というのは少数派であり、自分も含め大抵の凡人は何かを頑張らなければ何かを得られない。運や才能に恵まれているわけではない人間は必然的に頑張らなければならない。

 

しかしその何かのために一生懸命頑張ることは当然大変な事である。

今世の中ほどほどに頑張りほどほどのものを手に入れるというのが主流の考え方になりつつある。

頑張ることで得られるものは他人からの評価、人脈、お金など様々でありそうやって得たものを喜びに帰るという過程が存在する。

頑張る→対価が得られる→その対価を更なる喜びに変換する→うれしいからもっと頑張る

基本的にこの循環が存在するのだが必ずしもこれらが上手くいくとは限らない。頑張ることで対価が得られないことがあるしその対価が喜びに確実に変わるとも限らない。そうなると当然次頑張りたいとは思えなくなる。

 

更に頑張ること自体誰にでもできる事ではなく、その段階ですでに躓くものもいる。たとえば自分は既に頑張ることでつまずいているタイプの人間だ。

その結果頑張ることは最小限にして得られる対価も最小限、そしてその対価から得られる喜びも最小限という何もかもコンパクトにした生き方になっている。

人が得られる当たり前のものすら得られず最低限の喜びで生きているのだが、逆にこういった生き方にも最大のメリットがある。

そう頑張らなくていいという事だ。

 

結局多くの凡人は何かを得られる代わりに頑張らなければいけない。喜びがプラスならばがんばることはマイナスであり、たとえ喜びが得られたとしても頑張ることがあまりにもハードならば合計値では必ずしも得をしているとは言えないのだ。

例えば自分よりお金を稼いでいる人がいたとして一見すると羨ましい場合でも、ものすごくハードな仕事をしていて絶対にその仕事がやりたくないものであった場合途端にその収入は羨ましいと感じなくなる。

つまり頑張らなくていいというのは実はその時点でそれ自体に魅力があるのである。

頑張らない事にも価値はある。何も得られないかもしれないが、逆に言えば何もしなくていいということがすでに価値があることなのである。

人生何かすごく大きなことをしたいと思えばそれだけ大変だし失敗するリスクもある。それよりは最初からそんなことを夢見ずに、今の最低限の生き方に満足するという事もまた一つの生き方なのである。

 

小さなことで満足したり、ものすごく頑張って凄い物を得るよりも最低限の労力しか使わないことのほうが楽と考えて生きたりすることもまた人生だ。

肉食動物みたいに狩りをして大自然を生きることよりもナマケモノのように最低限の動きしかせず喜びもそのために頑張ることも最低限にする生き方を選んでもいい。

肉食動物には狩りをする大変さもあるし、必ずしもうまくいくとは限らない。餓死してしまう可能性もあるし厳しい生存競争がある。

それよりはナマケモノとしてその辺の葉っぱを食べて最低限の動きしかせずダラダラ生きててそれで幸せだという生活のほうが楽だともいえる。

自分で喜びの基準や夢の基準を最低限に下げてしまえばそこまで頑張らなくても済むのである。

 

そもそもナマケモノに肉食動物のように速く動く能力も狩りをする能力もないのである。できないことをしてもしかたがない、ナマケモノにはふさわしい最低限の生き方があり肉食動物のようなことがそもそもできないのだ。そういうナマケモノのような体のつくりになってる人間がものすごく頑張るスタイルはできないのである。

頑張らなければそれなりの対価しか得られずそこから得られる喜びは少ない。
しかし多くの喜びを求めなければ得る対価も少なくて済む、そしてその対価を得るための努力も少なくて済む。
喜びを大きくしたいという前向きの生き方を選ぶ人生もあるし、努力を少なくしたいという後ろ向きの生き方を選ぶ人生もある。

 

喜びの為ならばなんだって努力をするというタイプと、喜びはいらないからとにかく努力を最低限にしたいというタイプ、間違いなく世の中にはその二種類の人間がいるのである。

常に動いていたいタイプとほとんど動きたくないタイプ、何かを得ることを求める作りになっている生物と最小限のエネルギーで生きていく作りになっている生物、その両方がいるのだ。

人間もまた同じ、ものすごく頑張ってものすごくいいものを得る人生もあれば、意識低いナマケモノ人生もあるのではないだろうか。

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