負け組ゆとりの語り場

社会に取り残された男が日々を語る

日本人がロシア語を勉強するメリットはあるのか?

自分はロシアや中央アジアの文化が好きでロシア語を勉強していた時期があった。といってもロシア語のラジオを聞いたり、ロシア語の番組をなんとなく見るという程度の勉強で本格的に文法や単語を勉強したわけではなかった。

そしてそのロシア語勉強も最近は凍結しており、英語やスペイン語の勉強を優先している。なぜ自分がロシア語の勉強をやめたのかというとまずは実用性が乏しい事である。

まさにタイトルのテーマになるのだが、正直な話日本人がロシア語を勉強するメリットはそれほどない。

例えば日本でロシア語を習得しても日本においてロシア語はそれほど需要がなく日本企業もロシアを重要視していないため「ロシア語ができる」ということだけではそれほど希少性がない。

 

またロシアで働く場合においても日本語教室に派遣されるルートは日本の大学のロシア語学科に在籍している生徒が多いようである。これから日本の大学に入りロシア語を勉強するならばまだしも、一般の人が自己流や独学でロシア語を勉強するのはもはや趣味の領域を出ないだろう。

ロシア語を習得したからといっても劇的に人生の可能性が広がるとは限らない。

現状ロシア語にプラスして何か特殊な技能が合ったり、自分で独自のビジネスを開拓していく工夫をしなければならず「ロシア語ができれば安泰」というわけではない。

日本人がロシア語を習得すること自体ににはそこまで希少価値がなくプラスアルファで何かできなければならない。

本当にロシアが好きで、自分でロシア語を使ったビジネスまで開拓していくという気概のある人にしかできない敷居の高い言語である。

 

更に言えばロシア語自体日本人にとって非常に難解な言語でありまずキリル文字という見慣れない文字を使うためここになれるところから始めなければならない。それに加えて発音も非常に難しく、日本語の文法には存在しない変化なども学習者を混乱させる。

正直に言えば習得することも難しく、習得したところで将来の保証もなく需要がないのが難点だ。またロシア側からの日本語への需要も限られており安定したルートが確立されているわけではない。

ロシアでロシア語を使って生活するならば現地ロシア人レベルでロシア語を使いこなせる必要がある。あくまでロシアの一般労働者として就職することが現実的な手段で語学を駆使した職業は限られているのが実態だ。

 

この背景には日露関係やロシア自体の立ち位置という問題も絡んでいる。

まず日本とロシアは平和条約が締結されておらず民間交流もそれほど進んでいない。日本でのロシアの立ち位置、そしてロシアでの日本の立ち位置は「近くて遠い国、マニアックな国」であり両国ともに密かな人気や憧れはあるのだが一般的な人気は無い。

またロシア語最大手のロシア連邦自体の経済が冷え込んでおり、その言語を使用する国の国力や経済力が乏しいことも問題だ。数年前ならばロシア経済はBRICSの一つと数えられ次世代の大国として扱われていたが今のロシアはもはや大国とは言えず一人あたりのGDPは世界で60位代に沈んでいる。

正直ロシアで働いたところで普通に日本で仕事をした方がよほど給料がいいというのが現実だ。

月収にすればロシアで日本円にして20万ほど収益を得られれば十分裕福というのが限界であり、多大な努力をして言語を習得しロシアで生活したとしても日本円で20万程にしかならない。よほどの憧れや情熱があって、どうしてもロシアやロシア語圏の国が好きだという人が「趣味でやる」ための言語というのがリアルな立ち位置だ。

 

そういった理由によって自分はロシア語の勉強を凍結しより実用性の高い英語とスペイン語のトライリンガルを目指すことにしたのだ。正直な話「人生のために必要な言語」ではなく、労力に対してリターンがあまりにも少なすぎる。

人生に余裕ができて20年後ぐらいに趣味でやるための言語だと自分は割り切っている。趣味では本当にロシアが好きなのだが決して今熱心の勉強するほどのものでもないというのが現実だ。今勉強しないからと言って一生勉強しないわけでもない。

ロシア語のシャドーイング・トレーニング 初学者から中級者までロシア語がグングン身につく3ス [ 阿部昇吉 ]

価格:3,024円
(2017/12/7 14:11時点)

しかし全くロシア語に可能性がないというわけではない。

まずロシア語やロシア自体に大きな魅力がある。

女性は世界でトップクラスに美しく、文学や映画なども美しい。更にロシア特有の風景は独特な魅力があり、領土も広いためシベリアに存在する共和国などの道の世界もある。更に中央アジアやモンゴル、東欧などロシア本国以外でも通じるため非常に広い未知の世界が広がっており憧れは無限大だ。

また今後日露関係やロシア経済が改善する可能性もある上に、ロシアへの進出に活路を見出す企業も現れるかもしれない。日露関係が未開拓ゆえに、可能性がなくはない。

実はロシア連邦は人件費が安く、更に資源も豊富なため日本企業にとってフロンティアでもあるのだ。現状需要が少なくとも今後需要が増大する可能性はある。

現実にロシアとの経済交流はむしろこれからであり資源や領土も事も含めてポテンシャル自体は大きい。それゆえに、まさに自分で道を切り開いていかなければならない言語でもある。

ロシア語を使えることにプラスして新しくビジネスを切り開いたり自分を売り込んだし能力を発揮できる場所を見つけ出すだけでなく作り出すことまでしていくほど情熱のある人ならばむしろ大きなリターンを手にする可能性がある。

ポジティブに言えば全く可能性がないわけではなく、自分で切り開いていく情熱があれば結果を出せる言語でもある。

 

非常に難しく労力を要する上に、敷かれたレールは存在しない。

しかし可能性が全くないわけではなく、本当にロシア語が好きで冒険心があるチャレンジャーならば習得して損ではない。端的に言えば本当にロシアが好きでその為にはいばらの道を歩むことも厭わない人向けの言語だと言えるだろう。

まだ日本におけるロシアとの関係や文化や経済の交流は未発達ゆえに大きな可能性もある。一人のロシア好きとしてそういった先駆者が現れるならば切に応援したい。

今日本人は本気で海外脱出を考えないといけない

最近少しずつ海外脱出の可能性について考えている。実際に実現させるかどうかはともかく一回その可能性やリスクについて考えることは人生を考え直すことや計画をする事にもなる。

最終的に実現させずに日本に留まることを選んだとしても、様々な要因を考慮して選択した結果ならば問題はないし日本で生きる上でもヒントになることがある。

逆に全く何も考えず気づいたらずっと日本にいたという状況はもう今の時代リスクになっている。

一つの会社に勤めあげることが時代遅れになったように、今一つの国だけで生きていくことは時代遅れでありリスクの高い事でもある。

日本に住み続けることのリスクを考えて海外に脱出するのか、そのリスクを考慮して対策した上で日本に住むかが求められる。

「日本が嫌いだから」ではなく好きならばなおさらそのリスクについて知っておく必要があるし、嫌いだから海外脱出という短絡的な発想でも先は無い。

 

とにかくなぜこれだけ海外脱出を真剣に考えなければならないかの最大の理由は未曽有の絶望的な超少子高齢化にある。

ただでさえ日本人の平均年齢が40代後半になり出生率も低下し、今の若者世代は将来上の世代を一人で何人も支えなければならなくなる。特に日本社会で下層に属する人間ほどこの問題は厳しい。

そう考えたときにまず平均年齢が低く、これから発展の見込みがある国はベターな選択になる。たとえば芸能人のGACKTは既にマレーシアに住んでおり、日本と東南アジアを行き来する生活をしている。

また2chで有名なひろゆきも現在フランスに住んでいるらしく、いわゆる「情強」は海外のメリットや可能性を考慮して既に行動を始めている。

 

そこで自分は最近外国語の勉強をし始めており近い将来海外での生活を視野に入れ始めている。

まず自分という人間がこれ以上日本で頑張っても頭打ち感があるのが一つ。日本社会は一度社会からドロップアウトしたり失敗したものには厳しい。たとえば自分は大学を中退しており、就職のチャンスを逃しフリーターを転々としている立場だ。こういう人間が今更日本社会でやり直そうとしてもたかが知れており、同級生には差をつけられ下級生にも追い越され始めてきている。

年齢や肩書、学歴が重視される上に、新卒至上主義という日本特有の就職活動の事情が存在する。更に日本の労働環境は世界的にみて非常に劣悪で、東大卒すら自殺に追い込まれるほどだ。大学を中退した負け組の自分がさらに劣悪な環境に放り込まれることなど目に見えているのだ。

上手くレールを進んできたライバルにどうしても自分は日本では勝つことができない、更に日本自体が超少子高齢化の時代を迎え都合のいい最下層の搾取対象にしかならない。

大学中退のフリーターがいくら今から日本で頑張ったところで「その他大勢の日本人」でありそこまで希少性はないのが現実だ。

 

しかし海外ならば可能性がある。決して海外が夢物語の理想的な環境でないことは重々承知だが「現地語が話せる日本人」となると一気に希少性が出てくる。

また日本においても現地との人脈がある人は希少性があるのだ。

今更その他大勢どころかその大勢の中で下層にしかならないルートで真面目にやり直す気力が全くわかないのが正直な自分の考えになる。

逆に一花咲かせられる可能性のある海外に関しては希望も湧き勉強へのやる気も今非常に沸いている。

結局どちらが効率がよく確実かではなく憧れややる気があるかの問題なのだ。

日本で良い職を見つけるために資格勉強をする気はまるでわかないが、海外での生活を夢見て外国語の学習をする意欲は非常にある。良い方法や進路ではなく、自分がやる気がある方法や希望を持てる進路に進むことの方が結局は上手くいくのではないだろうか。

 

じゃあ今自分がどの国を視野にどの外国語を学んでいるかというとこれはスペイン語になる。

元々自分はこれまで何度もスペインという国を好きになっており、非常に憧れが強く日本においても何度かスペイン人と話したことがあり人も文化も凄く気に入っている国だ。人生一度は海外生活を経験してみたい、そう思いスペイン語の勉強を本格的に開始する事に決めた。

これまでも何度か勉強する計画を立てていて結局続かないことが多かったが今度は本気である。

これから日本で頑張っても、良くも悪くも慣れ親しんだ生活が続くか、せいぜいちょっとグレードアップするぐらいで「想定の範囲内」の生活しか待っていないのが予想付いてしまう。それがまっとうな道だとしても「やる気がなく希望が持てない」の一言なのである。

しかし子供のころからの憧れで今も憧れつづけている未知の国に行くための勉強はとにかくワクワクの連続で勉強が続く。結局将来のための勉強というのはモチベーションが全てと言っても過言ではなく、「想定の範囲内」しか待っていない世界にはそこまでやる気が持てない。

 

一方でスペインやスペイン語圏の世界は何があるかわからないという楽しみがあり冒険心を掻き立てられる。その結果自分の予想以下に終わったとしてもそれは刺激がある人生になる。

正直日本での生活には停滞感があり希望を感じられない、自分は一度日本社会のレールから落ちた人間なのだ。

ワンチャン賭けに出るような勝負に出ない限り人生の逆転は不可能、「希少な人間」になるか「その他大勢の中の下層」が限度の勝負に打って出るか。

 

元々列強の大航海時代や、日本人が満州やブラジルなどの海外に移民や出稼ぎに出ていた時代も「ワンチャンそこにでるしかないな」という停滞感を打破するための船出であった。

今の日本人は日本が行き詰っているにもかかわらず、日本に固執し「海外なんていっても日本より良くないにきまってる」と最初から可能性を否定してしまう。ただでさえ行き詰っているのに可能性を開拓しようとせず結局現状維持を選んでいる日本人が今非常に多い。

いつから日本人は海外に行くことをネガティブに考えるようになってしまったのだろうか。しかも今国内が特別良いというわけではなく暗い未来になる可能性が高いにもかかわらず。

明治時代のころは海外にも憧れがあったし、もうこの国際競争時代海外に出なければやっていけないという危機感があり開国し鎖国政策を廃止したり数々のエリートが留学をしたり海外へのビジネスを求めて移住した。

f:id:elken:20170623115113p:plain

今日本は停滞感に満ち溢れ勝負しなければならないのに、「海外なんて言ってもどうせうまくいかないにきまってる」と最初から否定している。

「特別日本も良くないけど、海外挑戦よりはマシ、海外挑戦は大変そう」と言うのが本音だ。今一番日本人が歴史において海外に挑戦しなければならない時期に、個人個人が鎖国に走っている。留学生の数も少なくなり、海外旅行に行く人も減っている。

その原因は日本人が貧しくなっているからなのだが、じゃあその貧困から抜け出すために海外に勝負に出ようという発想にはならず無意識のうちに「ゆるやかな停滞」を受け入れているのが日本人だ。

海外に出ることもリスクだが、日本に居続けることもまたリスクである。

むしろ日本で行き詰ってる人間ほど海を渡らなければならないし、海を渡ることを目指さなければならない。いつの時代も海外に夢を求める人間は自国では希望を持てない人間が多い。自国で行き詰っているから海外に打開策を求めよう、むしろ負け組程海外を目指したほうがいいのだ。

確かに海外は夢物語の世界ではない、しかし日本ももはや夢物語の世界ではなくなっている。

「なんだかんだで日本がいい」と最近日本再評価論もあるが、無理して言い聞かせているように聞こえることもある。自分は決して日本が嫌いなわけではないのだが、愛国心だけで何とかなる時代でもないということも理性的に判断している。君が代も日の丸も美しいがそれだけでは自分の生活は変わらないのだ。

 

また「想定の範囲内を超えた未知の世界」という意味では人間関係においても海外には自国の日常ではありえない状況も発生しうる。

海外には異様に面白い友人や自分の想像を超えるレベルでタイプの異性との出会いもあるかもしれない。

よく聞くのが「海外にいったら異様にモテた」という話である。女性に限らず男性でも実はそういったケースはあるのだ。

これも実際の所レアケースであり夢物語な部分もあるのだが、今まで全然評価されなかった人が海外に出た途端評価されるようになるという話も聞く。日本で評価されていなかった人間が、どういった能力で評価されるか予想もつかない上に開花してなかった才能が目覚める可能性もあるのが海外という新しい環境である。

これも一種の博打に近いところがあるが、現状日本で頑張ってもある程度限界というのは自分で見えてくる。「海外脱出」の話を考えている人というのは現状に限界を感じている人がほとんどで、現状維持も得にならず可能性を感じない程行き詰っているから海外に夢見ているのである。

 

根拠のない夢であっても、その根拠のない夢にすがるしかない現実もある。

人間関係や職におい停滞感や限界を感じている人ほど、思い切って環境を変えることにチャレンジするのは有益だ。

現状維持で十分幸せな人はわざわざ海外に夢見る必要もないが、現状維持や現状を少し向上するだけでは大きな変化が期待できないという人は一回環境を変えてみると劇的な変化が訪れる可能性もある。

日本が輝いてた時代というのはそういう根拠のない夢でも「行ってみよう」と進んでいた時代である。大きな挑戦を博打だと判断して無難に消極的な現状維持をするのが人生なのだろうか。人生とは博打である、負けた人間が無難に生きてるだけでは一生底辺。

日本でコツコツ頑張ったところで所詮その他大勢の中位ぐらいにしかならず差をつけられた人には一生追い付かず後追いの人生が続く。

どうせコツコツ頑張るならばすべてにおいてリターンが大きい海外挑戦を頑張るべきなのではないだろうか。海外挑戦も失敗して負けるかもしれないが、別に現状もどうせ負けているし失敗しているのである。そういう負けた人間がワンチャン海外に活路を見出す流れが形成されれば日本自体もまた活気づいてくるかもしれない。

 

海外はリスクがあるが日本に固執することもリスクがある。

海外で負けるかもしれないが、既に日本でも負けているし負けてない人も日本の崩壊に巻き込まれるかもしれない。

日本にも夢はあるが、海外にも夢がある。

数年後を見据えて外国語の勉強を始めたり、海外で通用するスキルをみにつけることはリスク管理としてやっておく必要があるだろう。もう日本だけを想定して人生設計をしていれば良い時代ではなくなっている。

【無料カウンセリング】"楽ではない"トライズなら1年で英語で自由に会話できるレベルに

 スマホでできる2ヶ月間の短期集中トレーニング

今のネット民ってユーモアがないただのひねくれ者だよな

昔のネットユーザー=ひねくれ者だが同時にユーモアがある

今のネットユーザー=ただ反論したいだけのひねくれ者

今のネットがつまらなくなった要因は、昔のネットユーザーの悪い部分だけを凝縮して面白さを無くしたようなユーザーが増えたことが原因で、典型的な面白い人がやっていたところにつまらない人がやってきた論に当てはまる。

面白いひねくれ者がいた時代から、ただの反論したがり人間ばかりの時代になったのが今のネットでこういうのを見るとネットはそれほど普及させるべきではなかったのかなと思わせられる。

 

特に2chは「半年ROMれ」の精神がなくなった。

またまとめサイトも急増し、ネットのノリを理解していく過程がほとんど失われ一般のノリをそのままネットにも持ち込むようになった。

例えば今ネットで自虐ネタを書きこんだらただ馬鹿にされるだけで皆恥ずかしがって自分の自虐を書かないようになったのは大きな変化と言える。逆に隙あらば自分語りのように自分が自信あるジャンルでしか話さない、匿名掲示板でも虚勢を張ったりマウントを取るようになった。

昔のネットだったら誰かが自虐すれば「俺はもっと酷いぞ」とノリのいい流れが形成されていたし、時には本当はそこまでひどくないのに流れを面白くするためにいい嘘をついていた。

それが今や馬鹿にできる奴を見つけて先制攻撃で誰かを馬鹿にしたり、ただユーモアもなく何かを批判している、完全にストレス発散の場になってしまった。

ネットのあらゆるものが自己アピールの道具かストレス発散の道具になった。

 

ネットをやっているだけでレアだった時代はそれゆえにお互いノリを共有していたが今は今はもうそういう時代でもなくなってごく普通の人が普通に見ているものになり雰囲気も様変わりした。

漠然と「俺はネット民」「俺は2ちゃんねらー」という意識があって、「世間では負け組のひねくれ者」であることをむしろ誇りに思っている節があった。

 

しかし今はネットですらマウント取り合う時代で、結局「おまえら」というのもただの見下すための他人でしかなくなった。ネットの概念やネットに対する感覚も変わったし、利用者もだいぶ増えた。もう「ねらー」というだけで仲間意識があった時代でもないし、ネットが特別な空間だと思えてた時代は終わったのだ。

インターネットやまとめサイト、SNSが当たり前に一般に道具として普及して、むしろネットやってないことのほうがレアな時代になっている。面接の採用人事でも「なんらかのSNSアカウントが本名で存在しないのはおかしい」と思われる時代になっており、ネットはリアルの延長上にある物であり独自の空間ではなくなっている。

 

芸能人も普通にツイッターを使ってネットのノリに媚びてきたり、あたりまえにネット用語を使う時代になっている。逆に芸能人と距離が近くなりすぎて特別感がなくなり、今度は親近感に特化したユーチューバーに人気を奪われる時代にもなっている。

ネットですらどんどんとリア充やコミュ力のある人のものになっていって、かつてのような古き良きねらーみたいなものは絶滅危惧種になっている。残ったのは昔のネットユーザーから良い部分を無くして悪い部分だけ強化したような人だけである。

端的に言えばマジレス気質の人が増えたとういう言葉に行き着く。

ノリのよいツッコミよりもマジな反論や指摘ばかりしたがる人が多い。

実際ブログを書いていてもここはノリのいいコメント欲しいなという時には無反応な傍観者ばかりで、いちいちどうでもいい指摘をしてくる人がマジレスして来ることのほうが圧倒的に多い。

ネタや冗談をマジなものだと捉えてユーモアなく指摘する人が急増している。

 

逆に言えばそういうつまらないひねくれ者も、昔のネット空間ならばユーモアのある存在になっていたかもしれない。面白い場所が面白い人を育てていた時代から、面白い場所がメジャーになりユーザーが増えつまらない人間が多数派になって劣化した。

スマホの普及でもはやネットのノリがわからない人の方が多数派の時代になってしまった。

 

正確に言えばネットは別に面白くなくなったわけではないだろう。

昔のねらー的な面白さやアングラ的な面白さがなくなって、一般人的な面白さ、リアルの延長上にある面白さに舵を取ったともいえる。

面白くなくなったわけではないが、昔のような種類の面白さではなくなった。

それを劣化とか取るか、変化ととるか。

そしてそんなことを考えている自分はもうインターネット老害なのだろう。

やらせ認定厨「テレビはやらせだやらせ!信じる奴はピュア!」

テレビがつまらなくなった原因ってやらせ認定厨のせいでもあるよな。

ネットがまだアングラだったころはリアルを暴いていくのが楽しかったけど、未だにテレビやリアルと戦ってるような奴は逆に時代遅れ感がある。いつまでメジャーなものに逆らうノリ続けてんだろうなって感じでむしろ寒いよなぁ。

 

テレビの権威が失墜した今、もうそこまで熱心にテレビ批判しても仕方がないし逆に人気番組が高視聴率たたき出してた時代や騙されてた時代の方が楽しかったとも思う。結局こういうメジャーなものやリアルのものを否定すると世の中面白くなくなる。そういう権威のあるメジャーなものがあるから逆にアングラなオタク文化も楽しかったし、リアルのノリとネットのノリって住み分けしてた方がいいんだよなぁ。逆にテレビがネットに媚びたり、ネットで批判されないように無難な作りになる今は本当に面白くない。

ネットの片隅で粗探ししてたから面白いわけであって、その粗探しがこれだけ権威を持つともう何も面白い物が作れない。

 

すぐステマ認定や流行捏造認定する人とかもそうだけど、世の中そうやって金で動いてるとういうことや大人の事情があることを許せないのは逆に子供であり中二病ともいえる。

サンタクロースがいないことや着ぐるみの中に人がいることを下級生に行って喜んでる高学年の子とか、人型ロボットは実用性がないとか主張したがる軍事覚えたての子とメンタリティは一緒でやってることはむしろ子供に近い。

 

正直に言ってテレビのすべてをやらせ認定しないと気が済まない奴は、テレビが全て真実だと信じてる奴と変わらないレベルで馬鹿だと言っていい。

中にはやらせでないものもあり、テレビ=全てやらせと判断するのはこれまたピュアでありマニュアル人間である。

テレビに騙されていたものがネットに騙されることに変わっただけであり、自分の頭で考えていない事には変わりないのだ。

「やらせかもな、でも本当だったら結構面白いな」と臨機応変に見ればいいのに狂ったようにやらせ認定しないと気が済まない人がいる。それで楽しんでる人がいるならいいじゃないという考えが持てず、そういう人たちに真実を教えないと気が済まない。

わざわざ楽しんでる人に「それはやらせだ!」と主張する、きっとつまらない性格なんだろうなと思うし余裕がない人が増えた。国民総クレーマー化、監視者化が進んで素直に楽しむ人は本当に減った。ハロウィン批判とかもそうだけど盛り上がる物が素直に盛り上がる方が実は経済的にもポジティブで盛り上がりがあった。

そういうのをネットで叩いて勝利した気になるのは昔だから面白かったけど、これだけネットが普及した今やっても逆に寒い。

 

似たようなもので言えば心霊番組とか心霊写真もそれが本当だと思って怖いと思ってた時代の方がワクワク感はあったし真実全て暴けば面白いかと言ったら実はそうじゃない。結局知らないことがいいこともあるし、騙されてた方が都合のいいこともある。

それをすべて問答無用で叩いて、「テレビ信じてる人まだいるんだ」と勝ち誇っても虚しいだけだよね。

逆に「テレビ叩きして勝ち誇る人まだいたんだ」と彼らには言いたい。もうネットがそういうノリの時代は終わったんだよ。いつまでもそのノリを続けてるのはサンタがいないと下級生に教えたがる小学4年生の子供と変わらない。

 

「テレビはこんなに嘘をついてるぞ」で盛り上がれたのはネットが少数の人しか使っていなかった頃で、逆にこれだけネットが普及してネットが力を持った今じゃむしろテレビが権力あった時代の方が楽しかったことに気付く。

むしろ今の流行は「テレビ叩き叩き」であって、逆張りしたい俺みたいな奴はむしろこの状況でむしろメジャーなものを持てはやす。

「確かにテレビは嘘ついてるけどそれで騙されててるぐらい世の中盛り上がって面白い、大衆が中途半端に賢くなった今は何をしてもつまらない。ある程度騙されてる大衆がいたほうがいい。」

一周回ってテレビを再評価し、そういった境地に今自分は至っている。

ある程度大衆文化には権威があったほうがいい、国民総ネット民化の先には先細りが待っているだけである。

バイクってすっかりおじさんの趣味になったよな

今日コンビニにいったら駐車場にかなり派手で大きなバイクが数台と待っていて、ちょっと怖いなと身構えていたら普通にダンディなおじさんたちの集まりで逆に驚いた。今回に限らずバイクの集団はたいてい年齢層高めの人たちが多くてもうすっかりファン層が高齢化しているのが事態になっている。

昔はバイクの集団がいたらちょっと怖そうなヤンキー集団だったが、バイクもまた一つ若者が離れたジャンルになっているようだ。自分は若者のロボット離れを嘆いているが、バイクファンは若者のバイク離れを嘆いているだろう。

今若者でちょっとオラついた集団がバイクに乗っているとしたらたいてい大きめのスクーターのようなものに乗っていて、それも昔ほど見かけなくなっている。

 

やはりこの原因は若者のオタク化と貧困化にあるだろう。

まず昔に比べてオタク趣味の人が増えたしリア充趣味の権威が失墜した。若者で少しお金があればアニメ、ゲーム、ソシャゲであり、女性側も今バイクに乗っている人はかっこいいと思わない時代になってきている。レディースの総長がいた時代はもう終わっているのだ。

モテるようになるわけでもなくお金だけはやたらかかるかつてのリア充趣味はもはや無用の長物となっている。

そもそも若者がそういうメカや大きな機会に憧れなくなっており、これはロボット人気が低下していることと似ている。もう今の男子はそういう機械やメカ、乗り物に憧れなくなってきており、大きく派手な物が無駄なもの扱いされるようになってきている。

 

また若者の貧困も避けては語れない問題であり派手なバイクに乗れるのは若いころにバイクに憧れて今お金に余裕がある中年男性層が多くなっている。仮に一人若者がバイクに乗れたとしても周りの若者仲間はそういう余裕がなく結局一人で乗らなければならずむしろ今若者で高いバイクに乗っている人はオタクっぽい人が多い。

自分自身がかっこよくてなおかつ派手なバイクを変える経済的余裕があって、更に同じような趣味の同年代の友人をそろえられる若者などなかなかいないのである。

 

そういったようにユーザーが高齢化しているバイク界だが、未だに彼らの中には「自分たちバイク乗りはイケている趣味をしている」という感覚があり「バイクに乗らない人は安全な人生にしか興味がない人だ」というような意見を持つ者もいる。ばくおんというアニメ、漫画が流行り少しバイク人気が回復したときも「俺らの世界にオタクがやってくる」というようなことを言っていたファンもいたが、実際の所ばくおん前からバイクは既に時代遅れのオタク趣味と化していたのである。

とっくの昔にかっこいいと思われなくなった趣味なのに未だに自分たちはかっこいいと思っているのがバイクファンなのである。

 

ただ自分は決してバイクがかっこ悪いとは思っておらず、むしろ今回のコンビニでみたときは迫力があるなと思ったし、路上などで見かけてもかっこよく感じる。その一方で乗っている人がやはりおじさんか、オタクっぽい人たちであってその部分は若者があまりかっこいいと思わない理由かもしれない。高級車やスポーツカーからオタクっぽい人が出てきたときもちょっと拍子抜け感があるし、結局ファッションと同じで何に乗るかよりも誰が乗っているかが重視されるようになった。

またおじさんやオタクっぽい人が乗っているのもむしろバイク乗りのマナーが向上している理由にもあっておりクリーンになっている。

サバゲーと同じで昔は危険な趣味だったジャンルのユーザーのマナーが格段に良くなっており、逆に撮り鉄のようなかつてのオタク層がマナーが悪くなってきている。

 

ただそれが若者のバイク離れやかっこいいイメージがなくなった理由でもあり、マナーがよくなれば健全になって危険なものを求める人が入ってこないという側面もある。

バイクのCMが減ったり仮面ライダーでもバイクが重視されなくなったりしてかっこいいイメージがなくなり、更に暴走族が珍走団になったことで「イケてる趣味」ではなくなった。それゆえにユーザーのマナーは良くなったという良い面もあるのだが、かつてほど盛り上がりもなくなったという側面もある。

 

そもそもあらゆる趣味がだんだんとオタク趣味化しており、日本全体がリア充至上主義だった時代からだんだんと皆オタク化、草食化してきている現実はある。

それがいい事なのか悪い事なのか。オタクが市民権得たことで逆にオタク文化がにわか化した面もあり、かつてのようにオタク文化とリア充文化が極端に分かれている時代の方が実はどちらも面白かったともいえる。

オタクがにわか化、リア充化してきてるともいえる、逆にかつてリア充趣味がどんどんとオタク化してきている。

バイクや車のようにかつてトガった趣味だったものがだんだんと健全化しマナーが良くなり、むしろ大人しいオタクが増え、逆に鉄オタやアニオタのようなかつてのオタクが今集団になり狂暴化してきている。不思議な逆転現象が今様々なジャンルで起きているのが現代文化の潮流なのだろう。

キンコン西野の「好きなことを仕事にしろ」は正論か?

キンコン西野と言えば炎上王として知られており嫌われる言動も多く、その発言は常に批判にさらされる。もちろんそれも狙ってやっており、誰にも興味をもたれないよりは誰かに嫌われた方が注目されるというスタイルである。

そして嫌われる人には必ず一定数のファンが付く。

自分はどちらかというとキンコン西野は嫌いなのだがたまに正論をいう時は納得がいくし、頭がいいなとも思わせられる。

 

とくに「好きなことを仕事にするべき」とい考え方には賛成だ。

西野曰く、誰でもできるような仕事は必ずロボットに奪われる時代が来るため真っ先に切られるが趣味のジャンルにまではロボットは入ってこないという事だ。

例えば黙々と介護職をやって自分は懸命にこの仕事を頑張っているという人も自分が出世するころにはロボットや移民などにとってかわられ誰でもできる仕事というのは変わる物に代替される運命になる。

昔は遊んでないで仕事しろといわれたが、これからは仕事になるまで遊びなさいと言われる時代になるとも彼は語っている。そういった趣味を収益化するための構造を作り上げればむしろ普通の仕事よりも収益は得られる、なぜならば今はインターネットで何でもできる時代だからである。

グルメや旅行が好きならばグルメや旅行で食べられるようにするという西野の主張に対して「グルメや旅行で食べていけるはずがないだろ」と脊髄反射的に反論するのは古い考えである。今のインターネットには嫌いな人の言っていることは全て間違い、お前が嫌いだからお前の意見も嫌いという「誰が何を言っているか」で判断してしまう人が多い。そこをどうやればいいか考えて自分で構造を作り上げられる人間が今後は勝ち組になっていくし、それができない人間や始めようとしない人間は将来職にあぶれるだろう。

 

例えば旅行で食べていけるようにするならばメジャーな手段は旅ブログや旅動画で人気になることだろう。とはいえ旅ブログは無数に存在する為マニアックな場所に旅行したり旅行記を面白く記述したりする工夫が求められる。

もちろんそれだけでは当然利益は出ないがブログの収益化は可能であり、基本的にはASPに登録することになる。有名どころではアフィリエイトBA8.netでありここはアフィリエイターなら誰もが登録している最大手の二強である。

どういうことなのかというとたとえばどれだけ人気の旅ブログであっても収益化をしていなければ一切収益は上げられず、ブログに記載されている広告収入は全てブログサービス運営側に持っていかれる。

 

無料ブログはブログサービスを貸し出す代わりにそこに広告を貼り、広告収入が発生すれば利益を得るシステムになっている。つまりブログ運営者は無料でブログを使える代わりに、そのブログへのアクセスから広告収益が発生した場合運営側に利益が入るのである。無料でブログを使わせてくれるのにはこういったからくりがある。

しかし上述のASPサイトと自分のブログを連携すればそこから自由に広告を貼ることができて、それらの収益を自分の収益にすることができるのだ。

 

例えば旅ブログならとにかく旅の事を書き、そして上述のアフィリエイトBやA8などから旅行関連の広告を探して自分のブログ記事に掲載する。そうすれば旅を目的にブログに訪れている人は旅関連の広告を見てそこから収益が発生するかもしれないのだ。

旅ブログを書く→ASPと自分のブログを連携させ旅関連の広告を貼る(必ずしも旅関連でなくてもいい)→ブログを見た人がその旅行プランなどに応募すれば多額の収益が入る、という流れでありこれがキンコン西野が言うところの趣味の収益構造化である。

もしかしたらブログ収入だけで十分に生活ができたり旅行費用だけはブログ収入だけでまかなえるようになり、更に記事を書けばアクセスも増え収入も増えるという好循環が発生する。

 

とにかく趣味のブログを書いて、その趣味に関連した公告を記載するというのが趣味で食べていくための王道である。ただ普通にブログを書いているだけではだめで、収益化のための構造を作る必要がある。そしてその収益化は軌道に乗れば非常に大きい。

たとえば一件当たり数千円、数万円の案件もあり数百人見ていて1人が購入してくれるだけで記事に費やした時間に対する時給以上の収益が得られることもある。大部分の人は全く広告に関心を示してくれなくても何人かに響けばそれで成立するのがアフィリエイトである。努力次第では一般の仕事よりも稼げるうえに、趣味というのは極めればロボットどころか他の誰にも唯一無二の武器になる。そういう意味でキンコン西野は好きなことで仕事をするべきだと言っているのだろう。

猫動画で稼ぐ時代はもう頭打ちでしょ

動画サイトに猫動画を投稿して収益を得るシステムが確立されて、猫も杓子もまさに猫動画である。ただこれも他のユーチューバーと同じ現象が起きていてただ単に猫動画だけでは稼げない時代になっているようだ。

とにかくライバルが多すぎる上に、人気の猫には固定客が集まっていて普通の猫ではなかなか視聴者が集まらない。猫に何らかの芸をやらせたり、特別な猫でなければもはやキャットアイドルになれない。

素人なら誰でもユーチューバーになる夢があった時代も終わり、猫ならどの猫でも人気者になれる時代は終わった。二匹目のどじょうを狙って猫動画を始めた結果ほとんど再生数も稼げず「人気猫に固定ファンが集まっている」という現実に気付くらしい。

 

個人的には猫が大好きで猫動画も昔は見ていたけど、稼ぐことが目的で投稿しているのが透けて見えるようになってからは猫動画もあまり好きじゃなくなった。猫をビジネスや金儲けに利用している飼い主がどうも好きになれないし、逆に猫を使って自分をアピールしようとしゃしゃり出てくる飼い主が多いのも好きじゃない。

寝顔が面白い猫がいて話題になったけどツイッターみたら飼い主の女性までしゃしゃり出てきてて、「別におまえみたいわけじゃないから」と萎えし飼い主の自己顕示欲に使われてる姿は少しかわいそうでもある。

更に二匹目のどじょう狙いで何の特徴もない猫を撮影してユーチューバーになること狙ってますみたいな人も多いし、これも典型的な「面白い人がやってきたところにつまらない人がやってきて業界が終了するパターン」である。浅はかな投稿者が続々やってきて魅力は半減した。

 

生き物動画で面白いのは個人的に狩猟動画や捕食動画で最近はこれを見ることが多い。あとは魚の解体動画なども面白く、レアな物ではすっぽんのさばき方などは面白かった。今生き物で稼ごうと思ったら猫以外が穴場かもしれない。

例えばサソリやタランチュラのような生き物は珍しく、ヒョウモントカゲモドキなどの爬虫類系も密かな需要があるしこういうマニアックなペットを飼っている人は本当に好きで飼っている感があって好感持てる。

猫好きは猫が好きな自分が好きな人が多いし、猫自慢し合ったり自分が一番の猫好きであることを競ったり飼い主同士の馴れ合い感がある。あとは真っ先にペットとしてメジャーな猫飼ってるだけなのに動物好きを気取ってる感じがしてけものフレンズみて動物好きを気取ってるような連中と変わらない浅はかさがある。

自分の考えはひねくれすぎているのかもしれないけど、猫は好きだけど他の猫好きは嫌いだし見るなら海外の投稿者のほうがよほど面白い物が多い。

 

あとはインスタやツイッターなどのSNSで人気の猫になって写真集などを出すパターンでかなり儲けている人もいるようだけどこちらはなおさら激戦区だろう。お金を払ってまで可愛いと思う猫はなかなかいない。

とはいえ本人がアイドルや有名人になれなくてもペットにアイドルになってもらうというのは今後のトレンドになるかもしれない。猫に食わしてもらう、ペットに稼いでもらう、いつのまにか逆転現象が起きる時代がやってくるだろう。

子供にスポーツ選手や子役芸能人になってもらうよりもペットならなお簡単に有名になることを目指せる。実際に子供をユーチューバーにして稼ぐ親もいるけど、それに比べるとペットはまだマシだろうか。

 

とはいえもう動画投稿自体が新規参入者には厳しくオワコンであるようにも思える。

結局収益化しやすいコンテンツは最後はテキストや文章に行き着くと自分は思う。ブログで文章書いてアフィリエイトやるほうがよほど手軽ともいえるし何もない人間が持っている最後の能力は文章を書くことである。

猫はまず飼わなければならないし、飼育代も結構な負担である。

固定ファンが多いため、再生数がなかなか稼げず収益率も落ちている今の時代に猫動画は厳しいだろう。

子供もペットもいないし、自分が有名人になれる才能があるわけでもないし何か撮るものや撮影機材があるわけでもない、そういう無名の個人が最後に生み出せるのはやはり文章やテキストなのである。最後に自分を稼がせてくれるのは自分の書く文章であり、頼れるのは自分の文章であるように思う。

カンファレンスバナー